IAEA事務局長退任後
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「モハメド・エルバラダイ」の記事における「IAEA事務局長退任後」の解説
「エジプト革命 (2011年)#エルバラダイ」も参照 IAEA事務局長を2009年の任期切れを以て退任した後、2010年に母国であるエジプトに帰国し、同年2月に政治団体「変革のための国民協会」を立ち上げて、エジプトの政治改革・民主化を提唱し、ホスニー・ムバーラク大統領による長期独裁政権に反対していた若者層やリベラル派から支持を得た。しかし、体制派のイスラム主義団体指導者が「エジプトのイスラム教徒を惑わそうとしている」などとしてエルバラダイの殺害を呼びかけるファトワを出したため、エジプトを出国しヨーロッパに滞在した。2011年1月にチュニジアでジャスミン革命が成功すると、エルバラダイは1月24日発売のドイツ誌『デア・シュピーゲル』においてチュニジアを引き合いに出し、エジプト国民も行動を起こすべきだと主張した。1月25日よりエジプト全土で大規模な反政府デモ(2011年エジプト騒乱)が発生すると、エルバラダイは27日に滞在先のウィーンより帰国し、28日にカイロ市のデモに参加したが、治安部隊によって一時軟禁下に置かれた。 エルバラダイは1月30日にもデモに参加し、カイロ中心部のタハリール広場で次のように演説をした。 我々の求めは一つ。ムバラク大統領の退陣だ。革命が後退することはない。それを伝えるために、私はここに来た。エジプトの若者たちよ、今日は始まりの日だ。変化はすぐに訪れる。それまで忍耐を続けてほしい。 大規模デモによって2月8日にムバーラクが退陣を示唆した後、軍出身のスレイマーン副大統領が政権を委譲するかに見えた際、エルバラダイは「革命を起こした民衆を代表していない。古い体制が運営し、軍が先導している」と述べ、スレイマーン陣営との対話を拒否する考えを示した。2月11日にムバラクが正式に大統領を辞任し、権限がエジプト軍最高評議会に移譲されると、エルバラダイは一転して「我々は何十年もこの日を待っていた。軍と協力して自由選挙の準備を進める」と発言した。また、次期エジプト大統領選挙への立候補に前向きな姿勢を見せていたが、2012年1月14日大統領選挙不出馬を表明した。
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