日本の伝統的な砲術とは? わかりやすく解説

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日本の伝統的な砲術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:08 UTC 版)

砲術」の記事における「日本の伝統的な砲術」の解説

天文12年1543年)、ポルトガル人種子島砲術伝えた三箇条の相伝であるといい、それは、(1) 「心を正しくして思邪なし」、(2) 「身を直ぐにして気を正しくす」、(3)一眼を眇して的に中すであった種子島時尭の臣である篠川小四郞はこの術を習い百発百中するに至ったという。[要出典] 砲術は、火縄銃弓術比較すれば命中率速射及ばない事に対し戦国時代時点射撃名手(「砲術家」)が主に命中速射重点を置きあみだした射撃術である。これに江戸時代に入ると日本独特と云われる大筒抱え打ちの業(大鉄砲)が加わった江戸時代最盛期には400もの流派があったという。 特徴命中重点置かれ射距離によって標的のどの部分を狙うか、伝書図入り示され目的応じた各種の「射撃姿勢」が描かれ,各据銃姿勢による体の各部位の力の配分や、息遣いまた、寒夜照準時の心持として寒夜聞くことができるような精神統一)思無邪(おもいよこしまなし)」等を名言として伝えた。また遠距離を狙う場合、単に照星照門(先目当、前目当)での照準とどまらず二つ照準器の間に在る小型照準器との兼ね合い照準したり、照門に「矢倉(やぐら)」と云う秘伝アタッチメント照尺」を付け仰角をつけて撃つ等の業があり、また距離、口径季節等の変化対応した火薬剤の配合比率等が秘伝として伝えられた。 天保年間高島秋帆によって西欧火器用兵術が紹介され殊に武州徳丸原(ぶしゅうとくまるがはら=現、東京都板橋区高島平)での公開演練の後は、江戸幕府西南雄藩において「高島流砲術」として導入され急速に普及した。これはこれまでの砲術異なって命中精度より集団運用によるいわゆる弾幕張る」等の用兵が主であり、それまで日本無かった号令」(日本には「命令」はあっても「号令」は無かった云う)による一糸乱れぬチームーワークで火器駆使するための戦術プラス銃砲術の性格持ったものであった折りしも欧米列強外圧幕末の動乱等の時代至り急速に普及した。さらに江戸幕府及び西南雄藩等では独自にイギリスフランス教練書を翻訳し銃器戦術進歩対応した英國歩兵練法』『佛蘭西歩兵操練書』等の教練書を作成して鉄砲組」は「歩兵隊」または「銃隊」へと改組され、これまでの和流砲術家達も洋式砲術学びなおす等により和流砲術消滅していったが、明治以降一部流派祭礼行事として残り空砲による発砲演武が行われてきた。福岡市では昭和初め頃まで海上向けて実弾放った伝えられる第二次大戦後、他の武道同様にそれらは禁止されたが、昭和39年1964年公の場武道として火縄銃演武認められ東京五輪の「射撃競技」の開始式典大戦前から伝統米沢市の「砲術隊」等による演武が行われた。これによりそれまで好事家にしか知られていなかった鉄砲術やその伝書が広く人々周知され各地に「地域おこし」の鉄砲隊誕生した。それらの中には砲術流派名乗るものも多いが、それらは藩政時代伝書からの再興よるものである。

※この「日本の伝統的な砲術」の解説は、「砲術」の解説の一部です。
「日本の伝統的な砲術」を含む「砲術」の記事については、「砲術」の概要を参照ください。

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