宇治加賀掾とは? わかりやすく解説

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うじ‐かがのじょう〔うぢ‐〕【宇治加賀掾】

読み方:うじかがのじょう

[1635〜1711]江戸前期古浄瑠璃最後名人紀伊の人。前名、宇治嘉太夫(かだゆう)。京都中心に活躍古浄瑠璃義太夫節橋渡し役割果たした


宇治加賀掾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/19 14:30 UTC 版)

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宇治 加賀掾(うじ かがのじょう、1635年寛永12年)- 1711年3月9日正徳元年1月21日))は、江戸時代前期から中期に活躍した浄瑠璃太夫である。本姓は徳田氏で、通称は太郎左衛門。号は竹翁。初名は初代宇治嘉太夫(後に賀太夫、加太夫と改名)。

人物

紀伊の宇治(現在の和歌山市)の生まれ[1]。幼年期に製紙業を営んだ[1]。1675年(延宝3年)、京都に出て、伊勢嶋宮内の名代で操芝居をはじめ、『虎遁世記』を語る[1]。同じ浄瑠璃太夫の山本土佐掾(山本角太夫)と並び称され、1677年(延宝5年)12月、加賀掾宇治好澄を受領[1]。加賀掾の浄瑠璃は、播磨掾の曲節に謡曲平曲幸若、流行唄などを加えた繊細優美なもので、近松門左衛門とともに浄瑠璃の品位向上にと当代化に貢献した[1]。八行稽古本の創始者である[1]

主な作品

  • 『暦』
  • 『凱陣八島』
  • 『世継蘇我』
  • 『竹子集』
  • 『牛若千人斬』

脚注

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  1. ^ a b c d e f 岡本勝, 雲英末雄編 『新版近世文学研究事典』 おうふう、2006年2月、424頁。 



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