にほんだいぶんてん【日本大文典】
日本大文典
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 14:25 UTC 版)

日本大文典(にほんだいぶんてん、ポルトガル語: Arte da Lingoa de Iapam、現代ポルトガル語:Arte da Língua do Japão)は、17世紀初頭にポルトガル語で書かれた日本語の文法の書である。ポルトガルのイエズス会宣教師であるジョアン・ロドリゲスによって編集された。これは、現存する最古の日本語学書であり、中世後期日本語の貴重な参考資料となっている[1]。
経緯
出版まで
日本でのキリスト教の宣教活動は1540年代に始まり、その言語を学ぶ必要があった。宣教師らは辞書や文法書を作成した。初期の文法書は1580年代に書かれた模様だが、現存しない[1]。
10代にして来日したジョアン・ロドリゲスは、"ツーズ"(通詞)[2]と称されるほど流暢になり、イエズス会の監督官らだけでなく、豊臣秀吉や将軍徳川家康の通訳も務めた。彼が編纂した『日本大文典』は、現存する完全な日本語学書としては最古のものとなっている。1604年から1608年までの5年間に長崎で3巻出版された。語彙と文法に加えて、王朝・通貨・度量衡体系その他の商業情報の詳細が含まれている[3]。
その後
しかし、1608年にマカオで騒擾を起こした日本人船員が弾圧され、翌年の殿中の権謀を経て、徳川幕府は1610年初頭にポルトガル商人を朱印船やオランダ・スペインに置き換えることを決議し、ポルトガル船が襲撃された。このノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件後、ほとんどの宣教師が長崎に残ることを許可されたものの、ロドリゲスはイギリス人ウィリアム・アダムズに交代させられた[3]。
その後ロドリゲスは中国伝道に加わり、1620年に文法書の改訂版『日本語小文典』(ポルトガル語: Arte Breue da Lingoa Iapoa)をマカオで出版した[1][3]。これにより『日本大文典』での文法の扱いが改められ、日本語の主な特徴に関する明確で簡潔な法則を確立した[3]。
長崎において出版された『日本大文典』は、オックスフォード大学ボドリアン図書館とクロフォード伯爵家にそれぞれ所蔵されている2部のみが現存している[1][4][5]。この他に、レオン・パジェスによる写本がある[5]。
内容
3巻で構成される[6]。
- 第1巻(第1丁~82丁[6])は日本語の基本文法の概要で構成される[注釈 1]。ローマ字表記のほか、格助詞に応じた名詞・代名詞の曲用、法や時制に対する動詞の活用について述べられ、言語を10の品詞に分類し[注釈 2]、敬語について論じている[1][4]。
- 第2巻(第83丁~183丁[6])では、構文・レトリック・方言・発音・アクセント・詩について解説している[1][4]。
- 第3巻(第184丁~240丁[6])では、漢字・文書・個人の読み方並びに日本の暦法や時間の数え方について解説している[1][4]。
版
- Arte da lingua de Iapam by father João Rodrigues Originally published in Nagasaki: Collegio de Iapao da Companhia de Iesv, 1604-1608, first grammar of the Japanese language, in Portuguese, by the missionary João Rodrigues
- Arte da lingoa de Iapam (1604)
- Élémens de la grammaire japonaise [abridged from Arte da lingoa de Iapam] tr. et collationnés par C. Landresse. [With] (1825)
日本大文典は土井忠生によって1955年に日本語訳された[3][4]。
日本小文典は、M.C.ランドレスによって『Elémens de la Grammaire Japonaise』として1825年にフランス語訳され、翌年に付録が追加された[3]。
脚注
注釈
出典
参考文献
- Chan, Albert (1976), “João Rodrígues”, in Goodrich, Luther Carrington; Fang Chaoying, Dictionary of Ming Biography, 1368–1644, Vol. II: M–Z, New York: Columbia University Press, pp. 1145–47, ISBN 9780231038331 0.
- 土井忠生『日本大文典』三省堂出版、1955年。ASIN B000JB4R7M。doi:10.11501/2473461。
- 日本古典文学大辞典編集員会 編『日本古典文学大辞典』(簡約)岩波書店、1986年。 ISBN 4-00-080067-1。 OCLC 22820487。
- 日埜博司『日本小文典』新人物往来社、1993年。 ISBN 4-404-02080-5。 OCLC 32139951。
- 池上岑夫『日本語小文典〈上〉』岩波書店、1993年。 ISBN 4-00-336811-8。 OCLC 31238863。
- 池上岑夫『日本語小文典〈下〉』岩波書店、1993年。 ISBN 4-00-336811-8。 OCLC 31238863。
- 小鹿原敏夫『ロドリゲス日本大文典の研究』和泉書院、2015年。 ISBN 978-4757607330。
関連文献
- 山田昇平「ロドリゲス『日本大文典』における “sonsonete”—濁音前鼻音記述をめぐって—」『四天王寺大学紀要』第58号、335–352頁、2014年 。
- 川口敦子「小鹿原敏夫著『ロドリゲス日本大文典の研究』」『日本語の研究』第12巻、第3号、日本語学会、149–156頁、2016年。doi:10.20666/nihongonokenkyu.12.3_149 。
関連項目
外部リンク
日本大文典
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戦国時代以降には、各地の方言を記録した書物が現れるようになった。このころには「京へ筑紫に坂東さ」ということわざがあり、当時、中央と九州と東国の3つの方言圏が意識されていたことを物語る。特にポルトガルから来日したキリシタン宣教師ジョアン・ロドリゲスの著した『日本大文典』(1604年)では、各地の方言の特徴が詳述されている。日本大文典では 「'三河'(Micaua)から日本の涯にいたるまでの'東'(Figaxi)の地方では、一般に物言ひが荒く、鋭くて、多くの音節を呑み込んで発音しない」 とあり、これは当時も東日本では子音を強く発音し母音の無声化が盛んだったことを表現したものと解釈されている。さらに、「関東」または「坂東」の特徴として、次の8点を挙げている。 日本大文典による関東方言の特徴 未来を表すのに「べい」を用いる。たとえば「参り申すべい」「上ぐべい」など。 打ち消しの「ぬ」の代わりに「ない」を用いる。たとえば「上げない」「読まない」など。 形容詞で、「良う」「甘う」の形の代わりに「良く」「甘く」の形を用いる。 動詞で、「払うて」「習うて」の形の代わりに「払って」「習って」の形を用いる。 「張って」「借って」の形の代わりに「張りて」「借りて」の形を用いる。 移動の「へ」の代わりに「さ」を用いる。たとえば「都さ上る」。 「しぇ」の音節は「せ」と発音する。たとえば「しぇかい」(世界)を「せかい」など(当時の京都では「せ」を「しぇ」と発音した)。 尾張から関東にかけては、「上げんず」「聞かんず」のように未来形「〜んず」を盛んに用いる。 上記は、現代の関東方言と異なる部分もあるにしろ、万葉集に記された方言と比べると、はるかに現代のものに近くなっている。江戸時代初期の他の文献にも、東国でハ行四段動詞の連用形促音便や、断定の助動詞「だ」、打消の助動詞「ない」が現れている。 日本大文典では、中国地方の方言について、アイをアーと発音すること(「なるまい」を「なるまぁ」)、「上げざった」「参らざった」のように打ち消しの助動詞「ず」「ざる」を使うことを記しており、これは現在の中国地方西部の方言にあてはまる。また備前ではガ行音の前の鼻音がないことを記している。 日本大文典は九州の方言についても詳しい。九州全般の特徴として、合音をウーと発音すること(「一升」を「いっしゅー」)、移動を表す「へ」の代わりに「に」「のやう(yŏ)に」「のごとく」「さまえ」「さな」などを使うこと、推量の助動詞「らう(Rŏ)」「つらう(Tçurŏ)」「づらう(Dzurŏ)」を使うことが記されている(ŏは開音のオー)。九州方言のうち豊後では、エイ・オイをイーと発音し(「礼」を「りい」、「良い」を「いい」など)、打消しの助動詞「ざる」や尊敬の助動詞「しゃる」を使う。肥前・肥後・筑前では、動詞の命令形に「上げろ」「見ろ」のように「-ろ」を用い、形容詞の語尾が「良か」「古か」のようにカ語尾になり、推量の助動詞「いらう(Irŏ)」「やらう(Yarŏ)」を使い、尊敬の助動詞「させめす」「せめす」を使う。また肥前などではアイ、オイがアエ、オエとなる(「世界」を「せかえ」、「黒い」を「くろえ」など)。これらを現在の九州方言と比較すると、「合音→ウー」や命令形「-ろ」、カ語尾などは、現在の方言にそのまま当てはまる特徴で、九州方言を多く採録した『日葡辞書』(1603年)に記録された「かるう」(背負う)などの多数の語彙と合わせると、現在の方言の大枠が当時すでにでき上がっていたことが推察される。
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