こうや‐ひじり〔カウヤ‐〕【高野▽聖】
読み方:こうやひじり
1 地方伝道のために、高野山から派遣された回国の僧。学侶方(がくりょがた)・行人方(ぎょうにんがた)に対して、聖方(ひじりかた)のこと。のちには、高野山の下級の僧。また、その服装をした乞食僧(こつじきそう)。
2 タガメの別名。《季 夏》
こうやひじり〔カウヤひじり〕【高野聖】
こうやひじり 【高野聖】
高野聖
作者泉鏡花
収載図書鏡花全集 巻5 小説
出版社岩波書店
刊行年月1987.1
収載図書ちくま文学の森 4 変身ものがたり
出版社筑摩書房
刊行年月1988.2
収載図書変身のロマン 〔新装版〕
出版社立風書房
刊行年月1990.9
収載図書ちくま日本文学全集 017 泉鏡花
出版社筑摩書房
刊行年月1991.10
収載図書高野聖
出版社集英社
刊行年月1992.12
シリーズ名集英社文庫
収載図書鏡花幻想譚 1 龍潭譚の巻
出版社河出書房新社
刊行年月1995.3
収載図書泉鏡花集成 4
出版社筑摩書房
刊行年月1995.10
シリーズ名ちくま文庫
収載図書泉鏡花集
出版社岩波書店
刊行年月2002.3
シリーズ名新日本古典文学大系
収載図書高野聖・眉かくしの霊 改版
出版社岩波書店
刊行年月2003.4
シリーズ名岩波文庫
収載図書変身のロマン
出版社学習研究社
刊行年月2003.5
シリーズ名学研M文庫
収載図書歌行燈・高野聖 改版
出版社新潮社
刊行年月2003.9
シリーズ名新潮文庫
収載図書新編 泉鏡花集 第8巻 信州・飛騨
出版社岩波書店
刊行年月2004.1
収載図書高野聖・眉かくしの霊
出版社岩波書店
刊行年月2004.3
シリーズ名ワイド版岩波文庫
高野聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:15 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動高野聖(こうやひじり)は、中世に高野山を本拠とした遊行者。日本の中世において、高野山から諸地方に出向き、勧進と呼ばれる募金活動のために勧化、唱導、納骨などを行った僧侶。ただしその教義は真言宗よりは浄土教に近く、念仏を中心とした独特のものだった。
歴史
遊行を行う僧は奈良時代に登場したが、高野山では平安時代に発生。始祖としては小田原聖(おだわら ひじり)の教懐、明遍、重源らが知られる。高野聖は複数の集団となって高野山内に居住したが,その中でも蓮華谷聖(れんげだに ひじり)、萱堂聖(かやんどう ひじり)、千手院聖(せんていん ひじり)が三集団が最も規模の大きいものとして知られる。
こうした聖は高野山における僧侶の中でも最下層に位置付けられ、一般に行商人を兼ねていた。時代が下ると学侶方や行人方とともに高野山の一勢力となり、諸国に高野信仰を広める一方、連歌会を催したりして文芸活動も行ったため民衆に親しまれた。しかし一部においては俗悪化し、村の街道などで「今宵の宿を借ろう、宿を借ろう」と声をかけたため「夜道怪」(宿借)とも呼ばれた集団もあった。また「高野聖に宿貸すな 娘とられて恥かくな」と俗謡に唄われているのはこのためである。
織田信長は天正6年(1578年)に畿内の高野聖1383人を捕え殺害している。高野山が信長に敵対する荒木村重の残党を匿ったり足利義昭と通じたりした動きへの報復だったというが、当時は高野聖に成り済まし密偵活動を行う間者もおり、これに手を焼いた末の対処だったともいわれている。江戸時代になって幕府が統治政策の一環として檀家制度を推進したこともあり、さしもの高野聖も活動が制限され、やがて衰えていった。
なお「高野聖」はタガメを指す夏の季語としても用いられる[1]。
脚注
- ^ 「中日春秋(朝刊コラム)」『中日新聞』中日新聞社、2020年1月17日。2020年3月5日閲覧。オリジナルの2020年3月5日時点におけるアーカイブ。
参考文献
- 五来重『高野聖』増補5版(角川書店<角川選書78>、1998年) ISBN 4047030791
関連項目
高野聖(こうや ひじり)
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「サクラ大戦V 〜さらば愛しき人よ〜」の記事における「高野聖(こうや ひじり)」の解説
過去に信長を封印した五輪の戦士の一人。新次郎の前世に当たる人物。新次郎は彼の記憶から五輪曼陀羅を完成させるには人柱が一人必要になることを知る。モデルは高野聖。
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