セビリア万国博覧会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/07 02:52 UTC 版)
| EXPO 1992 | |
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| 概要 | |
| BIE区分 | 登録博覧会 |
| 標語 | The era of discoveries(発見の時代) |
| 面積 | 215 ヘクタール |
| 観客数 | 41,814,571人 |
| 運営者 | マヌエル・オリヴェンシア |
| 出展者 | |
| 国数 | 112 |
| 会場 | |
| 国 | スペイン |
| 都市 | セビリア |
| 座標 | 北緯37度24分30秒 西経6度0分1秒 / 北緯37.40833度 西経6.00028度 |
| 経緯 | |
| 立候補 | 1982年3月3日 |
| 選出 | 1982年12月8日 |
| 初日 | 1992年4月20日 |
| 最終日 | 1992年10月12日 |
| 登録博覧会 | |
| 前回 | 日本万国博覧会(大阪府) |
| 次回 | ハノーヴァー万国博覧会(ハノーファー) |
| 認定博覧会 | |
| 前回 | プロヴディフ国際博覧会(プロヴディフ) |
| 次回 | 大田国際博覧会(大田広域市) |
| 園芸博覧会 | |
| 前回 | 国際花と緑の博覧会(大阪府) |
| 次回 | シュトゥットガルト国際園芸博覧会(シュトゥットガルト) |
| 同時期開催 | |
| 認定博覧会 | ジェノヴァ国際博覧会 |
| 園芸博覧会 (AIPH) |
ハーグ・ズータメア国際園芸博覧会 |
| インターネット | |
| ウェブサイト | Web de Expo´92 (2013年11月18日時点のアーカイブ) |
セビリア万国博覧会(セビリアばんこくはくらんかい西: Exposición Universal de Sevilla 1992)は、1992年にスペイン南部、アンダルシア州の州都セビリア(Sevilla)で開催された国際博覧会である。
概要
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)以来の一般博であり、176日間の会期(4月20日 - 10月12日)の間に総入場者数は約4181万人に及んだ。 同地に葬られているクリストファー・コロンブスが1492年に「新大陸」に到達してから500年に当たる記念行事として設定され、「発見の時代」がテーマであったが、ヨーロッパ中心の歴史観が一方的であるという批判も起こった。万博最終日はコロンブス艦隊が新大陸を発見した、すなわちバハマ諸島のサン・サルバドル島(グァナハニ島)に上陸した日付であった。 スペイン政府は万博に合わせたインフラ整備も行ったが、最大のものはスペイン国鉄(RENFE)による高速鉄道AVEの建設である。首都マドリードとの約500kmを約2時間半で結び、万博輸送やその後の産業発展に大きな役割を持った。
日本による出展
日本政府もこの万博には参加した。総合プロデューサーは作家の堺屋太一が務め、木造のパビリオンは建築家の安藤忠雄が設計した。館内では安土城天守閣の最上部(5-6階)の原寸復元がメイン展示として紹介され、6代目尾上丑之助(現在の5代目尾上菊之助)による歌舞伎などの上演も行われた。万博終了後、安土城の原寸復元は滋賀県近江八幡市の「安土城天主信長の館」へ移築され、現在でも公開されている。
また、万博開催構想を発表していた愛知県がPR活動を行った。この時の活動の一部は2005年開催の2005年日本国際博覧会(愛知万博)へとつながっている。
セビリア万博の際にはサンタ・マリア号らコロンブスの船団を成した3隻の船や、フェルディナンド・マゼランの船団においてただ1隻、世界一周を果たして帰還したビクトリア号の復元船が建造されていた。復元船ビクトリア号は愛知万博にあわせて世界一周に挑み、その途上、万博開催期間中の名古屋港にも寄港している。
関連項目
外部リンク
| 前大会 日本万国博覧会 |
一般博 スペイン、セビリア |
次大会 ハノーヴァー万国博覧会 |
固有名詞の分類
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