日本による出展
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「セビリア万国博覧会」の記事における「日本による出展」の解説
日本政府もこの万博には参加した。総合プロデューサーは作家の堺屋太一が務め、木造のパビリオンは建築家の安藤忠雄が設計した。館内では安土城天守閣の最上部(5-6階)の原寸復元がメイン展示として紹介され、6代目尾上丑之助(現在の5代目尾上菊之助)による歌舞伎などの上演も行われた。万博終了後、安土城の原寸復元は滋賀県近江八幡市の「安土城天主信長の館」へ移築され、現在でも公開されている。 また、万博開催構想を発表していた愛知県がPR活動を行った。この時の活動の一部は2005年開催の2005年日本国際博覧会(愛知万博)へとつながっている。 セビリア万博の際にはサンタ・マリア号らコロンブスの船団を成した3隻の船や、フェルディナンド・マゼランの船団においてただ1隻、世界一周を果たして帰還したビクトリア号の復元船が建造されていた。復元船ビクトリア号は愛知万博にあわせて世界一周に挑み、その途上、万博開催期間中の名古屋港にも寄港している。
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