日本による占領後の膠州湾租借地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 01:48 UTC 版)
「東洋艦隊 (ドイツ)」の記事における「日本による占領後の膠州湾租借地」の解説
海底ケーブルも引かれていた青島を含むドイツの膠州湾租借地を占領した後、日本は1912年に清朝を倒してその外交権を継承していた中華民国(袁世凱政権)に対して1915年に「対華21カ条要求」を提出し、租借権の移譲をそのまま認めさせた。1919年のパリ講和会議で締結されたヴェルサイユ条約の山東条項により、大戦後に成立したドイツ国(ヴァイマル共和国)もそれを承認したが、中華民国では五・四運動など激しい抗日民衆運動が生じた、中華民国政府もヴェルサイユ条約調印を拒否した。欧米諸国の反発もあり、1922年に日中間で締結された山東懸案解決に関する条約によって日本は膠州湾租借権を放棄し、同地は中華民国に戻されて、日本軍も撤退した。
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