日本による小笠原開拓開始に伴う影響とは? わかりやすく解説

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日本による小笠原開拓開始に伴う影響

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 09:19 UTC 版)

小笠原諸島の自然」の記事における「日本による小笠原開拓開始に伴う影響」の解説

1862年には韮山代官所江川英敏移民募集応じた八丈島島民38名と幕臣らが父島上陸し日本人として初の小笠原移民となったが、翌1863年にはいったん小笠原から引き揚げた。1876年明治9年)、日本政府小笠原群島領有宣言し小笠原群島内務省管轄となり再び開発始まった明治小笠原群島開発では、まず父島ではコーヒー栽培が行われた。しかし台風被害によりコーヒー栽培下火となり、続いてサトウキビ栽培盛んに行われるようになったサトウキビ栽培はやがて軌道に乗るが、当時サトウキビ生産は、開墾後肥料与えることもなくサトウキビ栽培し刈り取るだけといった極めて粗放的なもので、次々と原生林切り開かれていった傾斜が急で土壌が薄い地域では土壌流出のために耕地放棄される場所もあった。また砂糖煮詰めるためにが必要とされ、これもまた原生林伐採拍車をかけた。やがてサトウキビ栽培母島硫黄島北硫黄島など、父島以外にも広まっていった。 1910年代後半になると、砂糖価格下落サイパン島テニアン島などの南洋群島での製糖事業発達によって小笠原諸島サトウキビ栽培下火となり、カボチャなどの野菜栽培などが盛んに行われるようになったビニールハウス普及していなかった当時日本本土では野菜収穫できない時期出荷が可能であった小笠原農業成功収めていった。 また、小笠原固有種中でも有用であるために伐採盛んに行われた種もある。その中で代表的なものがオガサワラグワで、緻密優れた材質のオガサワラグワは木材として高値がついたため、山中巨木中心に伐採進められ結果激減してしまった。 小笠原諸島繁殖のために大挙集まっていた海鳥ウミガメ受難の時を迎えたアホウドリ北之島などの聟島列島鳥島尖閣諸島と並ぶ一大繁殖地であったのが、明治時代になって羽毛採取のために乱獲され、小笠原諸島繁殖確認されないようになってしまった。またかつて父島などでは多くアオウミガメ繁殖が行われていたものの、やはり明治時代になって食用のために年間2000-3000頭が捕獲されたため、たちまちのうちにウミガメの数も激減していった。 小笠原の自然が急速に失われていくことに対す対策は、かなり早い時期ら行われてはいた。まず1899年には新たな開墾禁止され植林が行われるようになった。しかしその中でリュウキュウマツモクマオウなど、現在小笠原生態系悪影響与えている植物植林という形で持ち込まれる副作用もたらされることになった。また1910年からは数が激減したウミガメ保護目的とした、ウミガメ人工孵化放流事業開始された。1921年には小笠原営林署設置され小笠原国有林調査進められるようになった。そして1926年にはこれまでの無計画な森林破壊反省もあって、母島石門山、ノ木平、硫黄島玉名山の3か所を学術保護林指定した

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