江川英敏とは? わかりやすく解説

江川英敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/19 05:42 UTC 版)

 
江川 英敏
ジョン万次郎撮影の江川英敏
時代 江戸時代末期(幕末
生誕 天保10年5月9日1839年6月19日[1]
死没 文久2年8月15日1862年9月8日[2]
別名 幼名:保之丞、通称:太郎左衛門
戒名 聰達院殿英敏日惠居士
幕府 江戸幕府韮山代官
氏族 源姓江川氏
父母 父:江川英龍
兄弟 英敏、英武、貞子(石川成章室)、英子(木戸孝允養女・河瀬真孝室)、他
養子:英武
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江川 英敏(えがわ ひでとし)は、江戸時代末期の旗本で、伊豆韮山代官である。第37代江川家当主。

経歴

天保10年(1839年)、第36代当主・江川英龍の三男として生まれる。安政2年(1855年)に父が死去した(2人の兄は既に早世していた)ため、家督を継いで第37代当主となり太郎左衛門を称した。

文久元年(1861年)には常陸国鹿島郡の日川砂漠開拓が難航していた柳川宗左衛門秀勝が教えを乞いに来た為これを指導。さらに八丈島での開墾経験がある農民らを招聘してやりこれを助けた。また生前に父が進めていた農兵育成・反射炉の完成・爆裂砲弾の作成などを次々と推し進めたが、家督相続から7年後の文久2年(1862年)に夭折した。享年24。継嗣がなく、末弟の江川英武が養子として跡を継いだ。

脚注

  1. ^ 戸羽山瀚 編『江川坦庵全集 上巻』江川坦庵全集刊行会、1954年、p.17。
  2. ^ 戸羽山瀚 編『江川坦庵全集 上巻』江川坦庵全集刊行会、1954年、p.18。

関連項目


江川英敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 04:20 UTC 版)

江川太郎左衛門」の記事における「江川英敏」の解説

37当主1839年 - 1862年。英龍の三男。父の事業継いで反射炉完成農兵隊の編成など行うが若くして病死

※この「江川英敏」の解説は、「江川太郎左衛門」の解説の一部です。
「江川英敏」を含む「江川太郎左衛門」の記事については、「江川太郎左衛門」の概要を参照ください。

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