日本による回教工作とは? わかりやすく解説

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日本による回教工作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 08:31 UTC 版)

中国におけるイスラームの歴史」の記事における「日本による回教工作」の解説

中国回教協会」および「回教工作」も参照 1920年代ごろから日本において満州内モンゴル権益確保ソ連との対決見据えてムスリム味方につけることを目標として陸軍外務省満州鉄道調査部による調査活動活発になった。また、何人も日本人活動家中国ムスリム社会入り込んで工作活動行った1937年盧溝橋事件直後には天津回教会と北京回教会が設立され同年の冬には清真寺日の丸や「イスラム教徒同胞告ぐ」という文書入った袋が撒かれた。1938年2月7日には中国回教総聯会の結成式が挙行され日本軍司令部憲兵隊の代表が出席したそのほか日本軍ムスリム訪日視察団派遣した回民青年学校回民小学校などを運営したほか、ムスリム貿易商宿泊させる回民会館運営し日本語教員育成行った1938年6月には回教総聯合会に対抗するかたちで南京政府によって「国民政府擁護三民主義適応した行動促進イスラーム発揚ムスリム同胞団結抗戦建国対す協力」を宗旨として掲げ中国回民救国協会組織され中国全土ムスリム統一や彼らの抗日戦争への参加ムスリム漢族不平等関係の撤廃声明した。また、東南アジア中東赴いてアラビア語での抗日宣伝活動行った英語版ウィキソースに本記事関連した原文あります。Al-Quran/Al-Baqarah 日中戦争下では「愛国愛教」というスローガン国民政府側の中国ムスリムたちのあいだに定着しクルアーン第2章190節や第194節に基づいて神の意志適うものとして抗戦が行われた。しかし、日本からの経済的な支援引き出すために日本側につき、積極的に回教工作協力していたムスリムもいた。1938年末、こうした親日派ムスリムマッカ巡礼向かった際には抗日派のムスリムもそれを追いかけ親日派監視するとともに日本との関係を断つように迫ったという。 結局日本回教工作支持得られず、戦局の悪化から1941年以降縮小一途たどった日本撤退後親日派ムスリム糾弾されなかには死刑処されものもいた。

※この「日本による回教工作」の解説は、「中国におけるイスラームの歴史」の解説の一部です。
「日本による回教工作」を含む「中国におけるイスラームの歴史」の記事については、「中国におけるイスラームの歴史」の概要を参照ください。

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