日本による占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 02:58 UTC 版)
「日本占領時期の香港」も参照 一連の暴動により、以降10年は日本人移民の流入は余り見られなくなった。香港本願寺小学校は引き続き運営されたものの、日英開戦ならびに香港の戦いの勃発に伴い、香港における日本人の一般市民の数は80人にまで減少した。通常日本人の移住は、満州事変以降の満州国のケースのように、帝国陸軍に付き従う形で行われるものだが、香港の場合は、少数の官僚などを除いて移民の流入を伴うことはなかった。 イギリスの降伏に伴い、香港では日本軍による軍政が敷かれ、経済面は餓死者が出るほどの壊滅的な打撃を受け、特に軍票問題に関しては、現在でも香港における反日感情の火種の一つとなっている。しかし、日本人と中国人の一般市民同士の関係は、悪いものばかりだったという訳ではなく、香港の法廷弁護士だった余叔韶は、自身の回顧録の中で、家族で香港からマカオ・広州湾租借地を経由して中華民国自由地区に亡命する際、国民学校の校長から支援を受けたことを述懐している。
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