占領の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 21:09 UTC 版)
「日本占領時期のインドネシア」の記事における「占領の終結」の解説
1944年から1945年にかけて、連合軍の主な部隊はインドネシアを迂回しており、ジャワ島やスマトラ島のような人口の多い地域で戦わなかった。そのため1945年8月の日本降伏時にも、インドネシアの大半が依然として日本の占領下にあった。ダグラス・マッカーサー連合軍最高司令官は1944年から1945年にジャワ島を解放しようとしたが、統合参謀本部およびルーズベルト大統領からの命令が下りなかった。そのため日本の占領はポツダム宣言受諾による日本の降伏で正式に終結し、その2日後にスカルノがインドネシア独立を宣言した。 アメリカ側がジャワでの戦争を抑制したことで、確かに日本人、ジャワ人、オランダ人、アメリカ人の多くの命が救われた。ただし、マッカーサーが自分のやり方を採用してアメリカ軍がジャワを占領した場合、インドネシアの独立はより迅速かつ円滑に達成されたとする説もある。後年の国連報告書は、日本による占領の結果としてインドネシアでは400万人が死亡したと記している。
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