占領の終了
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 14:29 UTC 版)
「連合軍軍政期 (オーストリア)」の記事における「占領の終了」の解説
1946年、クレディタンシュタルトが国有化された。7月制定の国有化法で、銀行や公共事業のほか、鉱業・鉄鋼、石油・化学、各分野の基幹産業が接収された。そのなかには、ナチスドイツが設立した工場が多く含まれていた。それらドイツ銀行の資金力で技術革新をなしていた工場は、とりわけ西オーストリアを重化学工業へ傾斜させた。 1947年1月からオーストリアは連合国と講和交渉に入った。争点は領土・賠償であった。まずユーゴスラビアがケルンテン地方を要求していた。そしてオーストリア企業がドイツに保有していた資産の処遇も議論されていた。 1948年、ソ連が内部対立からユーゴスラビアの領土要求を支持しなくなった。ユーゴは戦前ウランの特産地であった。 1953年、ヨシフ・スターリンが死去すると、講和はより現実的なものとなった。 1955年5月15日に、連合諸国とオーストリアはオーストリア国家条約に署名した。7月27日に発効され、正式にオーストリアは独立、主権回復を成し遂げた。連合軍は10月25日に残存部隊が出国した。その翌日の10月26日、オーストリアは永世中立国宣言を行ない、またこの日を祝祭日とした。オーストリアの中立はスイスやベルギーのそれとは根本的に異なり、国際的な保障がない。憲法で武装中立したオーストリア国民は、自国の中立が積極的な平和貢献によってのみ東西陣営から認められることを毎年確認することとなった。
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