満州事変以降
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満州事変(九・一八事変)後の1932年(民国21年)8月、北平政務委員会委員に任ぜられ、さらに平津衛戍司令に異動した。前任の于学忠は河北省政府主席となっているため、入れ替わりの形となる。また王樹常は、軍事委員会北平分会委員も兼ね、翌年3月には北平戒厳司令に移った。1935年(民国24年)4月、陸軍中将の位を授与されている。同年8月、軍事参議院副院長に転じた。1937年(民国26年)1月、西安事変に参加した于の後任として、王は甘粛綏靖主任に任ぜられる。4月、豫皖綏靖副主任兼豫皖蘇軍事整理委員会委員となり、6月、陸軍上将銜を授与された。 1944年(民国33年)3月、軍事参議院副院長を離任し、同院参議となる。1946年(民国35年)7月、陸軍上将に任ぜられたが、そのまま予備役に退いた。中華人民共和国成立後も大陸に留まり、第2期・第3期中国人民政治協商会議全国委員会委員、水電部参事室参事、中国国民党革命委員会(民革)第3期団結委員会委員などを歴任した。1960年4月8日、死去。享年75。
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