満州出兵、降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/03 05:17 UTC 版)
この年、明が後金討伐のため朝鮮に助兵を求めてきた。光海君は新興の後金を恐れたが、文禄・慶長の役(壬辰倭乱・丁酉再乱)で明軍の援助を受けた恩があるため、何度もためらった。結局、朝廷では名分論が優位を占めたため、光海君はやむなく派遣軍都元帥として姜弘立を指名した。姜弘立は3度も辞職願いを出して固辞したが、光海君は万一の時は降伏せよと密かに言い含め、姜弘立に五道都元帥の職を授け、1万3000人の兵力を与えて出征させた。 1619年、朝鮮軍は劉綎の南路軍に属して後金の都ヘトゥアラを目指したが、姜弘立は極秘裏に通事をヘトゥアラに送り、朝鮮の今回の出兵は本意ではなかったと伝えている。しかし、明の大軍はサルフの戦いでヌルハチの満州軍に各個撃破され、朝鮮軍も富車(フチャ)の野で後金軍の襲撃を受けた。この戦いで朝鮮軍の前衛隊は全滅したが、包囲された本隊には後金から降伏の誘いがあり、姜弘立はこれを受諾した。
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