満州同胞百万人の引き揚げへ努力
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「丸山邦雄」の記事における「満州同胞百万人の引き揚げへ努力」の解説
1945年(昭和20年)終戦直後、当時42歳の丸山は、新甫八朗(当時32歳)、武蔵正道(当時24歳)らとともに全満カトリック教会管長・大連カトリック教会 レイモンド・レイン司教、全満日本人会長 高碕達之助らの協力のもと、高碕からの日本政府宛の密書を携え、1946年(昭和21年)3月9日、危険を冒しながらも密かに満州を脱出し、海路にて同年3月13日、山口県仙崎に上陸を果たす。在満同胞救済代表として上京、ラジオ放送や日本各地において在満同胞救済の世論喚起や演説を行う。 その一方で英語に堪能な丸山は、ローマ法皇庁使節 ポール・マレラ大司教、楢橋内閣書記官長、幣原首相 、GHQ副官ヒューラ大佐、GHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーの相談役であるパトリック・バーン神父、さらには、当時「マッカーサー元帥と天皇陛下には、話しかけてはいけない」と言われたそのマッカーサー本人、吉田茂外相(のち首相)、佐藤栄作鉄道総局長官(のち首相)ら、数多くの日米欧要人と直接面会。救出への交渉や働きかけを行い、終戦から8ヶ月後の1946年(昭和21年)4月、安全の確保や飢餓、流行病に苦しむ旧満州に取り残された170万日本人同胞の脱出・祖国引き揚げ実現に結びつける(実際に引き揚げできた者は、約105万人とされる)。
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