満州唱歌集の誕生とは? わかりやすく解説

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満州唱歌集の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 19:46 UTC 版)

満州唱歌」の記事における「満州唱歌集の誕生」の解説

1922年大正11年)、それまで南満州鉄道附属地関東州別個に教育事業担い教科書副読本発行していた南満州鉄道関東庁共同出資し、教科書発行事業一本化するべく南満州教育会教科書編集部設立された。 当時満州では本土と同じ国定教科書用いた教育が行われていた(内地延長主義)が、編集部将来満州支え人材育成するべく、子供たち満州親しみ覚えることのできる教材用いて教育行おうとした(現地適応主義)。唱歌集についても、満州風土文部省唱歌歌われている日本の風土とかけ離れており、満州風土反映させた歌を掲載したものを制作することにした。こうして作られたのが『満州唱歌集』である。1924年大正13年)に初の唱歌集『満州唱歌尋常科第一二学年用』が発行され続いて1926年に『満州唱歌尋常科第三四学年用』が、1928年昭和3年)に『満州唱歌尋常科第五六学年用』が発行された。この、初め作られ唱歌集には編集部作ったや一公募の歌のほか、北原白秋野口雨情島木赤彦巖谷小波山田耕筰信時潔など、当時著名だった歌人詩人作曲家作品多く収録された。北原らは制作にあたり編集部招待により実際に満州訪れている。 成城大学名誉教授磯田一雄は、最初期満州唱歌について、「文部省唱歌よりもずっと西洋音楽に近い感覚をもっていた」と評価し本土よりも水準の高い満州音楽教育象徴一つであったとしている。

※この「満州唱歌集の誕生」の解説は、「満州唱歌」の解説の一部です。
「満州唱歌集の誕生」を含む「満州唱歌」の記事については、「満州唱歌」の概要を参照ください。

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