やまだ‐こうさく〔‐カウサク〕【山田耕筰】
山田 耕筰 (やまだ こうさく)
1886〜1965 (明治19年〜昭和40年) |
【作曲家・指揮者】 日本西洋音楽史上の巨人。「赤とんぼ」など美しい童謡は、今も愛唱される。 |
大正・昭和期の作曲家・指揮者。東京都出身。1908年(明治41)東京音楽学校卒。10年ベルリンに留学。14年(大正3)帰国して、精力的にオペラやオーケストラ作品を創作する一方、東京フィルハーモニー会に管弦楽部を創設、日本楽劇協会・日本交響楽協会を設立。日本の洋楽普及に多大な貢献をした。北原白秋と出会い、今も親しまれる童謡の名作を多く残した。作品は、交響曲「かちどきと平和」、歌劇「夜明け」、歌曲「赤とんぼ」「からたちの花」「この道」など。 |
年(和暦) | ||
●1889年 (明治22年) | ■大日本帝国憲法発布 | 3才 |
●1894年 (明治27年) | ■日清戦争 | 8才 |
●1903年 (明治36年) | ■江戸開府300年 | 17才 |
●1904年 (明治37年) | ■日露戦争 | 18才 |
●1907年 (明治40年) | ■足尾銅山で暴動 | 21才 |
●1910年 (明治43年) | ■韓国併合 | 24才 |
●1918年 (大正7年) | ■米騒動 | 32才 |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 | 37才 |
●1928年 (昭和3年) | ■初の普通選挙実施 | 42才 |
●1932年 (昭和7年) | ■五・一五事件 | 46才 |
●1936年 (昭和11年) | ■二・二六事件 | 50才 |
●1941年 (昭和16年) | ■対英米宣戦布告 | 55才 |
●1945年 (昭和20年) | ■ポツダム宣言受諾 | 59才 |
●1946年 (昭和21年) | ■日本国憲法公布 | 60才 |
●1951年 (昭和26年) | ■サンフランシスコ講和条約 | 65才 |
●1953年 (昭和28年) | ■テレビ放送開始 | 67才 |
●1956年 (昭和31年) | ■国際連合加盟 | 70才 |
●1960年 (昭和35年) | ■東京タワー完成 | 74才 |
●1960年 (昭和35年) | ■日米新安保条約調印 | 74才 |
●1964年 (昭和39年) | ■東京オリンピック | 78才 |
・市川 左団次二世 | 1880年〜1940年 (明治13年〜昭和15年) | +6 |
・石井 柏亭 | 1882年〜1958年 (明治15年〜昭和33年) | +4 |
・福原 信三 | 1883年〜1948年 (明治16年〜昭和23年) | +3 |
・高村 光太郎 | 1883年〜1956年 (明治16年〜昭和31年) | +3 |
・鳩山 一郎 | 1883年〜1959年 (明治16年〜昭和34年) | +3 |
・石橋 湛山 | 1884年〜1973年 (明治17年〜昭和48年) | +2 |
・東条 英機 | 1884年〜1948年 (明治17年〜昭和23年) | +2 |
・安田 靫彦 | 1884年〜1978年 (明治17年〜昭和53年) | +2 |
・三浦 環 | 1884年〜1946年 (明治17年〜昭和21年) | +2 |
・武者小路 実篤 | 1885年〜1976年 (明治18年〜昭和51年) | +1 |
・平塚 らいてう | 1886年〜1971年 (明治19年〜昭和46年) | 0 |
・谷崎 潤一郎 | 1886年〜1965年 (明治19年〜昭和40年) | 0 |
・松旭斎 天勝 | 1886年〜1944年 (明治19年〜昭和19年) | 0 |
・柳 宗悦 | 1889年〜1961年 (明治22年〜昭和36年) | -3 |
・古今亭 志ん生 | 1890年〜1973年 (明治23年〜昭和48年) | -4 |
・山川 菊栄 | 1890年〜1980年 (明治23年〜昭和55年) | -4 |
・近衛 文麿 | 1891年〜1945年 (明治24年〜昭和20年) | -5 |
・岸田 劉生 | 1891年〜1929年 (明治24年〜昭和4年) | -5 |
・河合 栄治郎 | 1891年〜1944年 (明治24年〜昭和19年) | -5 |
・芥川 龍之介 | 1892年〜1927年 (明治25年〜昭和2年) | -6 |
・西条 八十 | 1892年〜1970年 (明治25年〜昭和45年) | -6 |
山田 耕筰
東京生まれ。義兄の宣教師エドワード・ガントレットに西洋音楽の手ほどきを受ける。1908年、東京音楽学校(現東京芸大)声楽科卒業。1910年より3年間ベルリン王立アカデミー高等音楽院(現・ベルリン芸術大学音楽学部)に留学し、レオポルト・カール・ヴォルフに作曲を学ぶ。12年には日本人として初めて交響曲(『かちどきと平和』)を作曲。14年に帰国後、東京フィルハーモニー交響楽団を組織、24年には近衛秀麿と共に日本交響楽協会(現・NHK交響楽団)を結成するなど、日本のオーケストラ活動の基礎を作る。同時に歌曲、ピアノ曲、舞踊詩、劇音楽を創作。17年には、ニューヨークのカーネギーホールにて2度にわたり自作の管弦楽作品を指揮するなど、活発な発表活動を行う。また詩人・北原白秋らと雑誌「詩と音楽」を共同創刊、演出家・小山内薫と劇団「土曜劇場」「新劇場」を結成。20世紀前半の日本の芸術界全般に大きな影響を及ぼした。
歌とピアノ
山田耕筰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/23 04:20 UTC 版)
山田 耕筰(やまだ こうさく、旧字体:山田 耕󠄁筰、1886年〈明治19年〉6月9日 - 1965年〈昭和40年〉12月29日)は、日本の作曲家・指揮者。旧名、山田 耕作(旧字体:山田 耕󠄁作)。
注釈
- ^ 2012年5月、地元の文化市民活動団体『「山田耕筰」と「赤とんぼ」を愛する会』[1]や市内有志、企業などによる市民団体『童謡「赤とんぼ」の碑を建てる茅ケ崎市民の会』の運動により、茅ヶ崎市中央公園内に高さ約2.3mのオルガン型の記念碑が建立されている(2012年3月20日除幕式催行)。茅ヶ崎市は毎日夕方に行っている防災行政用無線の試験を兼ねたチャイム放送を、市民の意見を参考に、2007年10月1日から「赤トンボ」のメロディに変更した(『広報ちがさき』2007年9月15日号3面)。
- ^ 映画「ここに泉あり」では片手で指揮をする姿が確認できる。
- ^ 山田耕筰本人の歌唱による音源が存在する。関西大学年史編纂室トップページにリンクあり。
出典
- ^ サンデー毎日、1979年9月2日号88頁
- ^ 山田耕筰(関西学院事典)
- ^ 『若き日の狂詩曲』から「関西学院」の記述より。直筆原稿では86枚目。
- ^ 『官報』第7427号、明治41年4月2日、p.45
- ^ ベルリン・フィルを指揮、日本向けに放送『東京朝日新聞』1937年(昭和12年)6月19日夕刊.『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p732 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
- ^ 森脇佐喜子 1994.
- ^ 「からたち」の由来(西多摩霊園公式サイト内)
- ^ 山田耕筰年賦1908年~1915年、1936年~1965年日本楽劇協会
- ^ 東六先生と耕筰さんの息子同士の対談で「こんなエピソード」赤い靴記念文化事業団、2006年
- ^ 父 山田耕筰、箱根での横顔タウンニュース、2013年5月24日号
- ^ NPO法人築地居留地研究会2016年3月26日(土)研究報告会NPO法人築地居留地研究会、2016年
- ^ 山田耕筰の偉業吉海 直人、同志社女子大学、2020/04/28
- ^ “3.「カルピス」の命名”. 企業情報. カルピス. 2012年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月5日閲覧。
- ^ 佐々木烈『日本自動車史 写真・史料集』三樹書房、2012年、484頁。ISBN 978-4-89522-591-5。
- ^ 辻田 真佐憲 (2020年5月1日). “朝ドラ「エール」に初登場 志村けんと山田耕筰の“意外な共通点””. 文春オンライン. 週刊文春. 2020年4月30日閲覧。 原出典:「山田耕筰 : 現在ならセクハラで社会から葬られています」『文藝春秋』2000年1月。 高木東六『愛の夜想曲』講談社、1985年。
- ^ 森脇佐喜子 1994, pp. 24–26.
- ^ 飯澤文夫 『飯澤文夫 書誌選集Ⅱ』 金沢文圃閣、2016年、51頁
- ^ 中村雄二郎. “明大校歌誕生の周辺”. 明治大学. 2013年12月28日閲覧。
- ^ “明大校歌楽譜”. 明治大学. 2013年12月28日閲覧。
- ^ 一橋大学HQ編集部「ホームカミングデーが掘り起こした 校歌『武蔵野深き』の誕生秘話」(PDF)『HQ』第13号、一橋大学HQ編集部、2006年10月、12-15頁、2013年12月28日閲覧。
- ^ 関西学院大学 (2007年11月13日). “校歌「空の翼」”. 2013年12月28日閲覧。
- ^ “新校歌発表——待望幾年、今ぞ我等の校歌生る! 『関西学院新聞』第92号” (PDF). 関西学院新聞部. p. 1 (1933年9月20日). 2019年11月17日閲覧。 - 1933年9月18日に開かれた新校歌「空の翼」発表会の模様を報じている。山田のスピーチも掲載。
- ^ 今田寛 (2005年2月1日). “校歌を通して知る関西学院・その建学の精神”. 関西学院中学部第一回生同窓会. 2013年12月28日閲覧。
- ^ https://www.ryukoku.ac.jp/about/outline/songs/
- ^ 九州国際大学HP 学歌
- ^ “主演・大森南朋&AKIRA、監督・佐々部清で童謡『この道』映画化 日本映画史上初、富士屋ホテルでの撮影も”. Real Sound. (2018年3月13日) 2021年2月19日閲覧。
「山田 耕筰」の例文・使い方・用例・文例
- 山田氏に与えられるべき休暇
- 山田先生は生徒からたいへん尊敬されている
- 山田はみんなに好かれるタイプの人だと思う
- 山田先生が、佐藤先生に質問をする
- 4人が、きのう、山田市長に受賞報告をしました
- 山田と佐藤が一緒に歌の練習をする
- 山田さんと音声の人が時間の調整などをした
- 山田選手がトレーニングをする
- 山田君の母親が、先生に相談をしました
- 山田さんからは、大変苦労された旨の話が有りました
- 山田さんがほっとしたように私に言った
- 山田さんと佐藤さんが同時に言う
- 呟くように山田がそう言った
- 山田と佐藤はクラスが同じと言う
- ふと、山田が自分の時計を見た
- 彼が、山田の肩越しにパソコンの画面を見た
- それが山田には大きな意味合いを持つ
- 山田選手がボールを持っています
- 彼が山田先生の指導を受けました
- 彼が山田先生から授業内容の説明を受ける
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