カルピス
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カルピスは、アサヒ飲料の機能子会社となる日本の乳製品メーカーのカルピス株式会社(英称:Calpis Co., Ltd.)及び、同社が製造してアサヒ飲料が販売する乳酸菌飲料の名称である。ローマ字表記はCALPIS、日本以外ではCalpicoとも。
注釈
- ^ 同名で2曲が存在し、作詞・作曲:小林亜星のものと作詞:岩谷時子、作曲:筒美京平のものがある。2曲共に、当時カルピスのキャンペーンの懸賞品としてソノシートが制作され当選者に配布されている。
- ^ フジテレビ系で放送された一社提供のテレビアニメ。『世界名作劇場』の前身。
- ^ 2003年夏季のみ番組提供。2004年夏季以降は『ちびまる子ちゃん』から提供枠へ移行し、2007年夏季まで提供枠を継続した。
- ^ 2004年から2007年の夏季まで『星のカービィ』から引き継いで番組提供。2008年夏季以降は『ケータイ捜査官7』から提供枠へ移行。
- ^ 2008年夏季のみ『ちびまる子ちゃん』から引き継いで番組提供。
出典
- ^ a b カルピス株式会社 第41期決算公告
- ^ "カルピス®の生みの親 三島海雲". カラダにピース 「カルピス」. 2022年12月8日閲覧。
- ^ カルピス株式会社に関する株式譲渡契約締結のお知らせ (味の素株式会社2012年5月8日付プレスリリース)
- ^ カルピス株式会社の株式の取得(子会社化)に関する株式売買契約締結のお知らせ (PDF) (アサヒグループホールディングス株式会社2012年5月8日付プレスリリース)
- ^ 公益財団法人 三島海雲記念財団 設立趣意書
- ^ 渡部恂子, 池田なぎさ, 水谷潤 ほか、「中国内蒙古伝統的発酵乳とカルピス酸乳の理化学性状および構成菌比較」 『ミルクサイエンス』 1998年 47巻 1号 p.1-8, doi:10.11465/milk.47.1
- ^ “3.「カルピス」の命名”. 企業情報. カルピス. 2012年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月5日閲覧。
- ^ 『20世紀全記録 クロニック』小松左京、堺屋太一、立花隆企画委員。講談社、1987年9月21日、p349。
- ^ ニッポン・ロングセラー考 COMZINE by NTTコムウェア カルピス
- ^ "「カルピス」の歴史 1917〜". アサヒ飲料. 2022年12月8日閲覧。
- ^ 軍隊調理法 「カルピス様飲料速製法」- 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 「軍隊料理は不思議でうまい」 - デイリーポータルZによる再現記事
- ^ "「カルピス」の歴史 1950〜". アサヒ飲料. 2022年12月8日閲覧。
- ^ a b “カルピスで、口に「白いかたまり」残る?残らない? メーカー明かす「個人差」”. Jcastニュース. (2018年5月10日) 2019年9月4日閲覧。
- ^ “カルピスを飲んだ後、口の中に「白い塊」が出来ていたのは昔の話。実は進化しているとSNS上で話題に”. エキサイトニュース. (2019年8月30日) 2019年9月4日閲覧。
- ^ a b c “「今のカルピスは飲んだあと白い塊が残らない」と話題に → 実は2002年から改良されていた”. ねとらぼ (2019年8月22日). 2019年9月4日閲覧。
- ^ 包装技術2012.11
- ^ "カルピス、甘ずっぱさと華やかな香りの「『カルピス』いちご」を期間限定で発売". マイライフニュース. 2015年11月2日. 2022年12月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g “夏にピッタリ!濃いめに仕立てた「カルピス」に宮古島の「雪塩」を加えた乳性飲料『濃いめの「カルピス」』 6月7日(火)発売” (プレスリリース), アサヒ飲料株式会社, (2016年5月27日) 2019年9月6日閲覧。
- ^ “「濃いめの『カルピス』」初のTVCM 長澤まさみさんの“濃いめ”な思い出が甦る「あの頃の味」編3月23日(月)より全国オンエア!”. 2020年7月4日閲覧。
- ^ カラダカルピスBIO(ビオ)(G742)
- ^ “豆乳を発酵した植物生まれの新しい「カルピス」「GREEN CALPIS」PET300ml2020年4月7日(火)新発売!”. 2020年7月3日閲覧。
- ^ “コクのある甘みと塩分が夏場にぴったりの新しい乳性飲料「夏のこく甘『カルピス』」新発売”. PRTIMES. (2015年6月17日) 2019年9月6日閲覧。
カルピス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:05 UTC 版)
ラムネの相棒。ラムネ同様元船員で、相棒のラムネに比べのんびりした性格で、後に彼とともにA国の月光石調査隊員になるが、ムーン山の山頂でテント共々吹き飛ばされる。
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カルピス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 04:12 UTC 版)
龍治郎は、カルピス創業にも大きく関わった。カルピス創業者三島海雲は中国北京在住中、東文学舎で龍治郎の弟、土倉五郎と出会い親交を結ぶ。1903年(明治36年)、龍治郎・五郎の実姉、原富子(原六郎の妻)に提供を受けた1万円の半分で、北京の東端牌楼に化粧品や布地・雑貨などを扱う「日華洋行」を開く。また、陸軍大臣から蒙古での軍馬調達の指名を受けた五郎のすぐ上の兄、土倉四郎の依頼で内モンゴルにてその任に当たる。 曲折を経て辛亥革命による清国の滅亡によって三島は無一文になり、1915年(大正4年)帰国する。破産状態の三島は龍治郎を頼り、龍治郎もこれに応えた。三島は龍治郎を「親のように」とか「親代わり」というように表現している。また、土倉一族を恩人として、援助に対する感謝を述べている。三島の生家、大阪・箕面の浄土真宗・教学寺にある頌徳碑にも天野貞祐によりそのことが記されている。 三島は蒙古での体験から乳酸菌を利用した食品の製造販売を目的とする会社設立を龍治郎に懇請した。龍治郎は三島の願いを聞き入れ、一族や学友等とはかりカルピスの前身「ラクトー製造株式会社」を設立した。当初、乳酸発酵を利用したものを複数売り出すが、何れも成功しなかった。この頃三島をよく助け、日夜寝食を忘れて乳酸菌の食品・飲料への応用に取り組み後のカルピスの常務になった片岡吉蔵が研究開発の傍ら、ある日脱脂乳に砂糖を入れて一昼夜おいて飲むととても美味いものができた。三日目には更に美味くなることを発見した。当時、毎日のように経営上の相談・報告の為、龍治郎宅と会社の間を行き来していた三島は龍治郎に試飲を仰いだ。龍治郎は隣家の義弟、青木鉄太郎と共にこれを飲み、それまでの試作品とは全く異なる評価を与え、商品化を強く勧めた。偶然の所産、飲み物カルピスの誕生である。
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