日本統治下と抗日戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:25 UTC 版)
一方、1931年の満州事変以降、満洲地域だけでなく華北地方にも勢力を伸ばしつつあった大日本帝国は、1937年の盧溝橋事件があった後、北京とその周辺を占領し、日中戦争が勃発した。南京の蒋介石は日本軍から逃れて重慶にて「重慶政府」を建てた一方で日本は反蒋介石の汪兆銘を担いで「南京国民政府」を対抗するようにして建て、国民政府を相手としない旨の声明を発表した。また、大日本帝国の治下の北京では、名称は再び「北京」となった[疑問点 – ノート][疑問点 – ノート]。日本の影響回に置かれた北京では華北経済の中心地として日系人が数多く居住し[疑問点 – ノート]、日系機関も設置されるなどした。 1945年、終戦に伴って再び北京は「北平」となった。
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