日本統治下の朝鮮で
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/08 09:56 UTC 版)
「大韓イエス教長老会」の記事における「日本統治下の朝鮮で」の解説
朝鮮における長老派の教団組織は1912年に平壌で「朝鮮耶蘇教長老会総会」を開いた。当初は外国人宣教師が総会長を務めたが、1915年(第4次総会)からは朝鮮人牧師が総会長を務めるようになった。 朝鮮に派遣された初期の長老派の宣教師たちは、保守的な聖書信仰に立っていた。その後に入ってきた自由主義神学(リベラル)に対して、正統的な改革派信仰を確立させたのは朴亨龍(朝鮮語版)牧師だといわれる。朴亨龍はプリンストン神学校でジョン・グレッサム・メイチェン師に学んだ朝鮮長老教の指導者であった。 日本の占領時代に、朝鮮の長老教は神社参拝を拒否した。そのため日本政府は日本の長老派の流れにある日本基督教会大会議長の富田満らを送って、神社参拝を行うよう説得にあたらせた。1938年(第27次総会)で長老会は神社参拝を受け容れる決議を行ったが、偶像崇拝を拒んだ牧師や信徒も多く、投獄され獄死した人(殉教とみなされる)もいた。とくに、 1944年に殉教した朱基徹牧師の逸話はよく知られている。 1943年に日本基督教朝鮮長老教団に、1945年には日本基督教朝鮮教団 (ko:일본기독교조선교단) に改編された。
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