京城・台北とは? わかりやすく解説

京城・台北

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 09:31 UTC 版)

帝国大学」の記事における「京城・台北」の解説

6. 京城帝国大学在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁法令102号によって閉鎖) 7. 台北帝国大学現在の国立台湾大学十四か条の平和原則1918年1月8日)、ヴェルサイユ条約1919年)によって、第一次世界大戦後民族自決広まり日本統治下の朝鮮で三・一独立運動1919年)が発生し民族系およびアメリカ系宣教団で私立大学設立動き見られた。日本は、1920年大正9年)の国際連盟発足に伴い常任理事国一員となり、国際的地位を得る中、朝鮮台湾関東州などにおいて「内地延長主義」(外地同化政策)を採って、数々高等教育機関設立していった(→旧外地の高等教育機関)。 外地での帝国大学設立は、外地での民族自決抑え込む意味合いがあったものの、学部数や定員限定されまた、教授陣日本人、かつ、学生多く日本人であったため、民族差別訴え民族系新聞もあった。また、全ての内地日本国内)の大学高等教育機関文部省管轄にあったのに対し、京城・台北の両帝国大学始め外地のほとんどの学校大学台湾総督府朝鮮総督府関東局あるいは外務省管轄下に置かれた。 なお、1920年代には、大学令による大学多く設立されている。→旧制大学

※この「京城・台北」の解説は、「帝国大学」の解説の一部です。
「京城・台北」を含む「帝国大学」の記事については、「帝国大学」の概要を参照ください。

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