京城首都化計画説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 23:54 UTC 版)
「日本統治時代の朝鮮」の記事における「京城首都化計画説」の解説
元韓国国土開発研究院長金儀遠は、日本政府が朝鮮人を満洲に追放してソウルを日本の首都とすることが決められており、そのために朝鮮半島を開発したのであると、自身が発見したとする古文書を根拠に韓国中央日報で発表している。金によると、日本は1943年の国土計画中央計画素案で、京城府、日本の岡山、福岡の3カ所を大東亜圏の首都移転候補地に決めたとしている。 日本の国土地理院はこの中央計画素案は地域格差の是正、国土防衛を兼ねて産業と人口の大都市集中をさける配慮がなされていたと評価している。中央計画素案は昭和18年の国土計画策定要綱で勧められたが、日米関係の悪化などの事情で計画はもっぱら緊急不可欠の課題にのみ対応され、昭和17年大東亜国土計画大綱素案、昭和20年戦時国土計画素案が立案されたが閣議決定はなされず、以降終戦まで国土計画は中止された。 また当時の日本政府は、朝鮮人が日本内地に密航して治安を悪化させている状況を打開するために、朝鮮半島の開発に力を入れていたことが閣議決定文書で明らかにされている。
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