京大で触れた愛蘭戯曲
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1913年(大正2年)4月、同級の友人・佐野文夫の身代りとなって第一高等学校第一部乙類を退学となった菊池寛は(詳細は「マント事件」を参照)、同校の友人・成瀬正一の助け舟で彼の家に寄宿しながら学資の援助も受け、同年9月に京都帝国大学英文科の選科に進学した(翌年からは本科)。菊池は成瀬ら一高の友人たちが進む東京帝国大学文科に自分も行きたかったが、文科学長の上田萬年の認可が下りず叶わなかった。 一高の文芸第一主義に比べて京大は文学的には〈いなか〉であり、ことに1年生の頃の菊池は選科生であることに屈辱や孤独を感じていた。京大には芥川龍之介や久米正雄のような、文学について意見を交換できる刺激的なライバルの友もいなかった 東京にいる友人たちから1人だけ取り残されたような焦燥感や孤独を紛らわすため、入学当初から菊池は研究室や図書館に入り浸って内外の様々な読書に熱中した。京大の研究室には東大よりも近代文学に関する書物が豊富だった。そのため菊池は東京にいた時よりも〈二倍か三倍位多くの本〉を読むことが出来た。 以前から興味を持っていたイギリス文学や江戸文学のほか、菊池は同校教授の上田敏から聞いたジョン・ミリントン・シングに強く惹かれ、他にもロード・ダンセイニ、オーガスタ・グレゴリーなどのアイルランド(愛蘭)戯曲のほとんどを読破した。 私は研究室にあつた脚本は、大抵読んだ。それは、東京の文科の図書室などには決してない新しいものばかりだつた。それが、京都大学にゐた第一の収穫だつた。 — 菊池寛「半自叙伝」 アイルランド戯曲に傾倒した菊池は、〈愛蘭(アイルランド)人の民族的覚醒〉を築いたウィリアム・バトラー・イェイツ、シング、グレゴリーなどの〈郷土芸術〉に注目し、彼らの〈愛蘭土国民文学運動〉である「アイルランド文芸復興運動」をモデルに、京都をダブリンに重ねて〈京都の芸術復興(ルネッサンス)〉を、「草田杜太郎」名義で『中外日報』で呼びかけたこともあった。 菊池は、欧州各国の中で一番日本に似ているのはアイルランドだと感じ、外国の中でアイルランドを最も好きになった。ケルト民族のアイルランドは、アングロサクソンのイギリスとは人種も歴史伝統も異なる〈全く違つた別な国〉であり〈英文学と愛蘭土文学とは豌豆と真珠のやうに違つたもの〉だと菊池は比較した上で、〈欧州の人種の中で「物のあはれ」を知る国民は唯ケルト人〉だけだとしている。 愛蘭土は凡ての点に於て日本そつくりである。愛蘭土の戯曲に出て来る人物は孰づれも初対面とは思はれぬ程、日本人には馴染みの人達である。(中略)愛蘭土の戯曲に出て来る母親は欧州の戯曲に見るやうな自我的(イゴチスチック)な母親ではなくて、常に自分以外の人の事のみを心配して居る優しい母親である、兄弟喧嘩も日本そつくりのものである。 — 菊池寛「シングと愛蘭土思想」 日本人と似た感情の動きや自然崇拝観を持つアイルランド人の中でも〈真に愛蘭土の生活を語り真に愛蘭土の思想を語るもの〉はシングであり、シングをアイルランドの劇作家の中で〈最も天才的で世界的な劇作家〉だとする菊池は、シングの芸術の第一の特徴を、〈彼の作物には自然主義と抒情主義乃至はロマンチシズムが微妙な混合を示して居る事〉だとしている。 また、菊池は〈シングは人生の戯曲的成分を掴み取る事を解した真正の戯曲家〉だとして、真実と同時に歓喜(ジョイ)を重んじたシングの戯曲は、英国の戯曲のような旧道徳の〈かび臭〉や新道徳の〈ペンキの悪臭〉とは無縁だと論じ、道徳主義から自由なだけでなく、なおかつ象徴主義からも自由で離れた作風であるとして、シングへの傾倒をみせている。 シングの人物は鋳掛師でも漁夫でも皆詩人であつてその台詞は皆詩である、がその言葉が不自然にも嫌味にも響かない、之は愛蘭土に生れたシングの特権である、此事はシング自身も認めて居る、(中略)シングは好んで醜悪な人生をも題材とする。そしてその醜悪な内から美を漁らうとする、彼の戯曲は美と醜との配列である。(中略)が、シングが大名を成した所以は彼が愛蘭土的である為ではなくして、今迄誰人もが探究しなかつた人間性のある方面を描き出して居る為である事は無論である。 — 菊池寛「シング論」 シングはアラン諸島のイニシュマーン島(英語版)に住み、アラン諸島の風光や民衆から創作の題材を得たが、そのシングの『聖者の泉』(The Well of the Saints)や『海に騎りゆく者たち』(Riders to the Sea)などから作劇上の暗示を受けた菊池は、自身の故郷であり地方色豊かな讃岐(香川県)を舞台にした『屋上の狂人』や、土佐(高知県)の佐田岬に近い海岸を舞台にした『海の勇者』を書き上げた。
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