京大坂道
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京大坂道(きょうおおさかみち)は、高野七口と呼ばれる7つある主たる高野参詣道の内の一つで、京都や大阪からの高野街道が紀の川を渡り、和歌山県橋本市学文路から高野町・極楽橋を通り、高野山の入り口となる不動坂口に至る参詣道である[1][2]。
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- ^ a b 高野山を歩く 2009, p. 78.
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- ^ a b 入谷 2019, p. 70.
京大坂道不動坂
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京大坂道の極楽橋から不動坂口に至る区間は「不動坂」と呼ばれ、京大坂道における一区画を指し、約2.7kmと比較的短い距離だが、高低差310mの急坂で京大坂道最後の難所であった。特に京大坂道不動坂といった場合は、この不動坂部分のみを指す。京大坂道不動坂は、1915年(大正4年)の高野山開創1100年を機に大改修が行われ、旧来の不動坂の急峻な坂道を迂回する新道が作られた。新不動坂は、幅員、ルート共に大幅に変更され歩きやすくなり、そのため、旧来から使用されてきた旧不動坂は使用されなくなり、現在では不動坂といえば新道の不動坂を意味するようになった。新不動坂が主要参詣道となって以来、旧不動坂は使用されず、また開発されることも無く放置されたため、『紀伊国名所図会』で描かれた、かつての不動坂が、ほぼそのままの状態で保存されることとなった。永らく使用されず山に埋もれていた旧不動坂が、2011年(平成23年)からの古道整備事業により調査が行われ、朽ち果てた桟橋の掛け替や往時の不動坂中の難所とされた「いろは坂」や、罪人を突き落とした伝わる「万丈転かし」の現場も、見事に復元整備されている。京大坂道不動坂の終着地点である不動坂口に、かつて高野山が女人禁制(#女人禁制)の時代に建立された、女性のための籠もり堂の女人堂(#女人堂)が唯一現存する。 京大坂道不動坂の新道 京大坂道不動坂の旧道 高野山への入り口の不動坂口 不動坂口に唯一残る女人堂
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