京大阪道不動坂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 15:31 UTC 版)
特に、京大坂道の極楽橋から不動坂口に至る区間は「不動坂」と呼ばれ、京大坂道における一区画を指し、約 2.7km と比較的短い距離だが、高低差 310mの急坂で京大坂道最後の難所であった。特に京大坂道不動坂といった場合は、この不動坂部分のみを指す。京大坂道不動坂は、1915年(大正15年)の高野山開創1100年を期に大改修が行われ、旧来の不動坂の急峻な坂道を迂回する新道が作られた。新不動坂は、幅員、ルート共に大幅に変更され歩きやすくなり、その為、旧来から使用されてきた旧不動坂は使用されなくなり、現在では不動坂といえば新道の不動坂を意味するようになった。新不動坂が主要参詣道となって以来、旧不動坂は使用されず、また開発されることも無く放置されたため、「紀伊国名所図会」で描かれた、かつての不動坂が、ほぼそのままの状態で保存されることとなった。2011年(平成23年)から、永らく使用されず山に埋もれていた旧不動坂が、古道整備事業により調査が行われ、朽ち果てた桟橋の掛け替や往時の不動坂中の難所とされた「いろは坂」や、罪人を突き落としたと伝わる「万丈転かし」の現場も、見事に復元整備されている。京大坂道不動坂の終着地点である不動坂口に、唯一現存する女人堂がある。 紀の川流域から高野山参詣道として、東は橋本市清水からの黒河道が並走する。西は、西国三十三所観音巡礼の四番札所槇尾山施福寺に通じる槇尾道が、高野口町名倉から並走するが、途中で宿場町として賑わった神谷で京大坂道と合流する。さらに東には、町石道がある。
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