京大坂道とは? わかりやすく解説

京大坂道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/18 08:46 UTC 版)

京大坂道(きょうおおさかみち)は、高野七口と呼ばれる7つある主たる高野参詣道の内の一つで、京都や大阪からの高野街道が紀の川を渡り、和歌山県橋本市学文路から高野町・極楽橋を通り、高野山の入り口となる不動坂口に至る参詣道である[1][2]


  1. ^ a b c d e f 和歌山県街道「高野七口」”. 和歌山県 伊都振興局. 2019年12月30日閲覧。
  2. ^ a b c d 高野七口とは”. 高野七口再生保存会. 2020年1月31日閲覧。
  3. ^ a b c 高野参詣道/国指定文化財等データベース”. 文化庁. 2019年12月29日閲覧。
  4. ^ a b c 軽微な変更による追加登録”. 和歌山県世界遺産センター. 2019年12月30日閲覧。
  5. ^ a b 高野山を歩く 2009, p. 74.
  6. ^ a b 高野山を歩く 2009, p. 114.
  7. ^ 東高野街道”. 枚方市役所. 2020年1月28日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g 高野山を歩く 2009, p. 115.
  9. ^ a b 渋谷 2015, p. 11.
  10. ^ a b c 下高野街道”. 大阪市東住吉区役所. 2020年1月29日閲覧。
  11. ^ 北野田駅から河内長野駅/西高野街道”. 大阪府. 2020年1月28日閲覧。
  12. ^ a b 高野街道里道標石”. 橋本市. 2020年1月27日閲覧。
  13. ^ a b c 入谷 2019, p. 63.
  14. ^ 西高野街道ガイド”. 河内長野市観光協会. 2020年1月28日閲覧。
  15. ^ a b c 入谷 2019, p. 62.
  16. ^ 世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道”. 文化遺産オンライン/文化庁. p. 18. 2019年12月30日閲覧。
  17. ^ a b c d e f g 高野参詣道京大坂道/高野七口街道ウォーキングマップ”. 和歌山県. 2020年1月27日閲覧。
  18. ^ a b c 入谷 2019, p. 72.
  19. ^ a b c 女人堂”. 高野真言宗 総本山金剛峯寺. 2019年12月30日閲覧。
  20. ^ 入谷 2019, p. 75.
  21. ^ a b c 高野山1200年 2016, p. 24.
  22. ^ 歩いて旅する 2015, p. 135.
  23. ^ a b c 高野山1200年 2016, p. 25.
  24. ^ a b 高野山を歩く 2009, p. 31.
  25. ^ a b 高野山を歩く 2009, p. 79.
  26. ^ 渋谷 2015, pp. 83–84.
  27. ^ a b 渋谷 2015, p. 84.
  28. ^ 入谷 2019, p. 21.
  29. ^ 入谷 2019, p. 20.
  30. ^ 高野山200年 2016, p. 24.
  31. ^ 法令全書 明治五年第98号。 NDLJP:787952/7, NDLJP:787952/97
  32. ^ a b 高野山文化財年表 明治時代”. (公財)高野山文化財保存会 高野山霊宝館. 2020年1月28日閲覧。
  33. ^ a b 年表”. 高野真言宗 総本山金剛峯寺. 2020年1月28日閲覧。
  34. ^ 文化庁選定「歴史の道百選」追加選定一覧”. 文化庁. 2020年1月28日閲覧。
  35. ^ 現地案内板による
  36. ^ 高野山を歩く 2009, pp. 75–76.
  37. ^ 有形民俗文化財(県指定)”. 和歌山県教育委員会. 2020年1月28日閲覧。
  38. ^ a b 入谷 2019, p. 65.
  39. ^ 河根丹生神社”. 和歌山県神社庁. 2020年1月27日閲覧。
  40. ^ 県指定文化財・有形文化財・美術工芸品”. 和歌山県教育委員会. 2020年1月27日閲覧。
  41. ^ 入谷 2019, p. 66 - 67.
  42. ^ 高野山東京別院について”. 高野山東京別院. 2020年1月28日閲覧。
  43. ^ 高野街道「世界遺産」への道”. 橋本市観光協会. 2020年1月28日閲覧。
  44. ^ 世界遺産高野山へ 京大坂道:観光パンフレット”. 南海電気鉄道株式会社. 2020年1月28日閲覧。
  45. ^ 高野山を歩く 2009, p. 77.
  46. ^ 高野山を歩く 2009, pp. 77–78.
  47. ^ 内閣官報局 法令全書 明治6年, 太政官布告37号。NDLJP:787953/5NDLJP:787953/92
  48. ^ a b 高野山を歩く 2009, p. 78.
  49. ^ a b 学文路駅”. 南海電気鉄道株式会社. 2020年1月28日閲覧。
  50. ^ 極楽橋駅”. 南海電気鉄道株式会社. 2020年1月28日閲覧。
  51. ^ a b 入谷 2019, p. 70.


「京大坂道」の続きの解説一覧

京大坂道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 10:23 UTC 版)

高野参詣道」の記事における「京大坂道」の解説

京大坂道(きょうおおさかみち)は、京都大阪、及び堺方面からの高野参詣道である。高野街道ともいわれ、他の高野参詣道よりも安全で短時間高野山辿り着けるとされ、近世以降、主要参詣道として利用されるようになった京都府八幡市起点とする「東高野街道」、大阪市平野起点とする「中高野街道」、大阪市四天王寺起点とする「下高野街道」、大阪府堺市起点とする「西高野街道」が、大阪河内長野までに合流し1つ街道となる。1つ集約され高野街道は、高野街道京大坂道ともよばれ、河内長野から大阪和歌山県境にある紀見峠越え和歌山橋本市紀の川渡り清水へ、学文路から高野町極楽橋通り高野山内への入り口となる不動坂口に至る。この和歌山橋本紀の川渡り清水へ、学文路から高野町不動坂口へ至る道が京大坂道と呼ばれている。京大坂道は、かつて最も多く参詣者で賑わった高野参詣道といわれる。『紀伊国名所図会』の「登山七路」の項で、「京大坂より紀伊見峠を越えて来るものと、大和路より待乳峠を越えて来るものと、清水村二軒茶屋にて合ひ、学文路経てこの道より登詣するもの、十に八九なり」と表現されていることから、江戸時代後期における京大坂道の利用は、高野参詣者の8 - 9割に及ぶことがわかる。参詣道は、紀ノ川渡り学文路から山中へ向かうが、道中は、学文路河根神谷といった宿場町があり、江戸時代には参詣者の増加とともに大いに賑わった。

※この「京大坂道」の解説は、「高野参詣道」の解説の一部です。
「京大坂道」を含む「高野参詣道」の記事については、「高野参詣道」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「京大坂道」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  京大坂道のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「京大坂道」の関連用語

京大坂道のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



京大坂道のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの京大坂道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの高野参詣道 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS