京大医学部から研究の道へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 18:11 UTC 版)
「笹井芳樹」の記事における「京大医学部から研究の道へ」の解説
1962年兵庫県生まれ。野球をして育ち、剣道で自制心を養ったという。高校は愛知県立旭丘高等学校に進学し、音楽部に所属。同じ部活の同級生には田嶋要がいた。勉強だけでなく、スポーツもよくできたという。親族の多くは医学方面に進んでおり、1980年には笹井も京都大学医学部へ進学した。大学では理学部教授であった岡田節人の講義を聞き、発生学にも興味を持った。 1982年から1986年にかけて、京都大学医化学第一講座で実験や研究の基礎を学ぶ。医化学第一講座と第二講座の交流の良さを指摘し、生化学や分子生物学の第一線を感じ取れたこと、「基礎医学の研究は自分の個性をそれぞれ生かしてやってゆくことができるんだ」と思っていたことを述懐している。早石修の最終講義では、笹井が在校生代表として謝辞を述べた。 1986年3月に京都大学医学部を卒業し、「一度医療を通して人間・生命の本質を感じる中で研究を選びたい」ということから同年6月より2年間の研修を受ける。「これからの医学に必要なことを肌で感じたい」という気持ちがあり、研修先は大学病院ではなく神戸市立中央市民病院を選ぶ。研修中には、運動機能に障害を持つ筋萎縮性側索硬化症や脊髄小脳変性症などの患者も担当している。 笹井は研修を通して神経の難病に治療法や特効薬がないことを認識し、脳や神経系に興味を持つ。臨床医としての研究に限界を感じたこともあり、基礎研究を志して1988年に京都大学大学院医学研究科へ入学。中西重忠の下で研究に取り組み、複雑でありながら極めて精密に構築されている脳の不思議に魅了される。1993年に、京都大学博士(医学)を取得する。
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