槇尾道
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槇尾道(まきおみち)は、空海が得度した大阪府和泉市の槇尾山・槇尾寺(施福寺)を起点とし、蔵王峠、紀の川を渡り、九度山町の慈尊院、槇尾山明神社、梨木峠、椎出を通り、高野参詣道・高野七口の一つ、京大坂道と高野町神谷の旧白藤小学校付近で合流している[1]。紀の川流域から高野山に至る参詣道として、東に清水宿からの黒河道が並走し、西に町石道が並走する。南海高野線がおおむね並走している。

2019年(令和元年)10月、文化庁の「歴史の道百選」に追加選定された。
歴史
槇尾山明神社の項目の記述によれば、弘法大師が槇尾山で修行していた頃、傍らの弁財天を信仰しており日夜お参りしていた。1924年(大正13年)に、昭和天皇・御成婚記念「槇尾道・道程標」が沿道に建てられた。
新高野街道(長坂街道)
1925年(大正14年)に高野下駅が高野山に最も近いターミナル駅として開業し、その後高野山まで延伸されるまでの間、駅周辺の椎出地域 から高野山への参詣道として利用され、「新高野街道」と呼ばれた。
沿道の主な名所
関連項目
交通
脚注
外部リンク
槇尾道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 10:23 UTC 版)
槇尾道(まきおみち)は、空海が得度した大阪府和泉市の槇尾山山腹にある槇尾寺(現、施福寺)を起点とし、大阪・和歌山の県境にある蔵王峠を越え、紀の川を渡り、九度山町の慈尊院、槇尾山明神社、梨木峠、椎出を通り、宿場町として賑わった高野町神谷で、京大坂道に合流する参詣道である。西国三十三所観音巡礼で、第三番札所の和歌山・粉河寺を参詣した後、高野山へ立ち寄る参詣者も多く、その場合、高野山への登りは麻生津道(西国街道)を通り、下山路に槇尾道を通ることが多かった。その場合の下山路は、不動坂口から京大坂道不動坂を通り、京大坂道の宿場町・神谷で分岐する槇尾道へ進む。麓へ下ると慈尊院の渡し場から紀の川を渡り、蔵王峠を越え西国三十三所第4番札所の和泉市・施福寺へ至る。
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