槇尾道とは? わかりやすく解説

槇尾道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/22 13:29 UTC 版)

槇尾道(京大坂道)不動坂付近
梨木峠付近

槇尾道(まきおみち)は、空海が得度した大阪府和泉市の槇尾山・槇尾寺(施福寺)を起点とし、蔵王峠紀の川を渡り、九度山町の慈尊院槇尾山明神社、梨木峠、椎出を通り、高野参詣道・高野七口の一つ、京大坂道と高野町神谷の旧白藤小学校付近で合流している[1]。紀の川流域から高野山に至る参詣道として、東に清水宿からの黒河道が並走し、西に町石道が並走する。南海高野線がおおむね並走している。

槇尾山明神社

2019年(令和元年)10月、文化庁の「歴史の道百選」に追加選定された。

歴史

槇尾山明神社の項目の記述によれば、弘法大師が槇尾山で修行していた頃、傍らの弁財天を信仰しており日夜お参りしていた。1924年(大正13年)に、昭和天皇・御成婚記念「槇尾道・道程標」が沿道に建てられた。

新高野街道(長坂街道)

1925年(大正14年)に高野下駅が高野山に最も近いターミナル駅として開業し、その後高野山まで延伸されるまでの間、駅周辺の椎出地域 から高野山への参詣道として利用され、「新高野街道」と呼ばれた。

沿道の主な名所

関連項目

交通

脚注

  1. ^ 空海ロマン槇尾道”. 2020年1月11日閲覧。

外部リンク


槇尾道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 10:23 UTC 版)

高野参詣道」の記事における「槇尾道」の解説

槇尾道(まきおみち)は、空海得度し大阪府和泉市槇尾山山腹にある槇尾寺(現、施福寺)を起点とし、大阪和歌山県境にある蔵王峠越え紀の川渡り九度山町慈尊院槇尾山明神社梨木峠、椎出通り宿場町として賑わった高野町神谷で、京大坂道合流する参詣道である。西国三十三所観音巡礼で、第三札所和歌山粉河寺参詣した後、高野山立ち寄る参詣者も多くその場合、高野山への登り麻生津道西国街道)を通り下山路に槇尾道を通ることが多かったその場合の下山路は、不動坂口から京大坂道不動坂通り京大坂道宿場町神谷分岐する槇尾道へ進む。麓へ下ると慈尊院渡し場から紀の川渡り蔵王峠越え西国三十三所第4番札所和泉市施福寺へ至る。

※この「槇尾道」の解説は、「高野参詣道」の解説の一部です。
「槇尾道」を含む「高野参詣道」の記事については、「高野参詣道」の概要を参照ください。

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