新高野街道とは? わかりやすく解説

新高野街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 10:23 UTC 版)

高野参詣道」の記事における「新高野街道」の解説

新高野街道(しんこうかいどう)は、1901年明治34年)に和歌山県橋本市に、紀和鉄道(現、JR和歌山線一部)の名倉駅1903年高野口駅改称)が開業し名倉駅から九度山椎出長坂通り宿場町神谷京大坂道合流する道である。鉄道利用でき高参詣便利なため多く参詣者で賑わった。また、1915年大正4年)の高野山開創1100年に向け車道整備され徒歩だけでなく乗合自動車人力車でも賑わった。1918年大正7年)から椎出から不動坂口女人堂間に200mおきに「丁石」が建てられ1924年大正13年)に椎出神谷女人堂当時皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念道程標が建てられた。ただし、現在その多く倒れたり埋もれ所在不明になっている。1925年大正14年)に南海鉄道(現、南海電気鉄道高野線)の高野下駅高野山最も近いターミナル駅として開業し高野山近く楽な参詣道とし利用された。その後1929年昭和4年)に、高野山電気鉄道(現、南海電気鉄道高野線)が極楽橋駅まで延伸され、1930年昭和5年)に極楽橋駅 - 高野山駅間に、鋼索線開通した1932年昭和7年)に、南海鉄道(現、南海電気鉄道高野線)と高野山電気鉄道(現、南海電気鉄道高野線)が相互乗り入れをし、高野参詣主体鉄道や車となり、新高野街道も含め徒歩による高野参詣道使われなくなっていった。

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新高野街道(長坂街道)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 04:37 UTC 版)

槇尾道」の記事における「新高野街道(長坂街道)」の解説

1925年(大正14年)に高野下駅高野山最も近いターミナル駅として開業しその後高野山まで延伸されるまでの間、駅周辺椎出地域 から高野山への参詣道として利用され、「新高野街道」と呼ばれた

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