新高銀行創設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 07:11 UTC 版)
帰台後、1915年李延禧は父李景盛を補助し、大稻埕商人を集結し茶葉融資を主たる目的とする的銀行を設立。新高銀行と命名し、李延禧は常務取締役となり、1922年李景盛逝去後、頭取に就任。新高銀行創設初期においては第一次世界大戦の好景気に乗り、業務は急速に膨脹し、資本金は最初の50万円から徐々に200万、800万円に増資し、経営範囲は更に華南及び南洋一帯に拡大したが、戦争の終結にともない景気は反転し、新高銀行は負債過多に陥り,1923年台湾商工銀行(現今の第一商業銀行)に併合され、李延禧は副頭取となる。以後、台湾商工銀行の減資にともない李延禧の持株は減少し、僅か一年で副頭取の職務を辞することとなる。
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