日本統治下の邑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 08:39 UTC 版)
「日本統治時代の朝鮮の行政区画」も参照 日本統治期の邑は、郡の下に置かれた行政区分の一つ。面よりも人口の多い区域を指し、日本の町に相当する。長官は邑長である。 統治初期には、道の下に郡と府(都市部、特に日本人の比率が高い地域)、郡の下に面が置かれていた。1917年に人口の多い面を指定し、日本人の面長を置くことができるなどの制度改正が行われた(指定面)。1930年5月9日公布の邑面制(昭和5年制令第12号)によって邑が法制化された。これにより、指定面が順次邑に昇格するとともに、その後都市化が進んだ面が邑へ昇格した。邑がさらに発展すると、郡から独立した府に昇格する。 1930年の邑面制により自治体としての形を整え、議決機関として邑会が設置された。邑長が議長を務め、邑会議員選挙は制限選挙である。
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