日本統治前
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1860年 - (オランダ領東インドの問題を描いた小説「マックス・ハーフェラール」がオランダで出版される。英語版は1868年、日本語版(朝倉純孝訳)は1942年2月に出版されている。) 1862年 - (フランスの植民地サイゴンでフランス語のみが公用語化され、漢字の代わりにラテン文字を元にしたクオック・グーの導入も開始、1887年のフランス領インドシナ成立後も続く) 1876年 - 日朝修好条規締結、釜山港開港 1878年6月 - 第一国立銀行が釜山浦支店を開設 1879年8月 - 釜山商法会議所設立、1893年1月に釜山港日本商業会議所へと改名、1908年に釜山商業会議所へと改名 1880年5月 - 日朝修好条規に基づき元山港開港 1880年5月 - 第一国立銀行が元山に出張所を開設 1880年5月23日 - 元山に総領事館を開設 1881年1月14日 - 元山に港会議所を設立、10月23日に居留民総代役所と商法会議所に分かれる。商法会議所は1891年に在元山日本人商業会議所へと改名、1893年に元山日本人商業会議所へと改名 1882年8月30日 - 日朝修好条規続約締結、日本の公使館員が朝鮮各地に行けるようになり、その後、特命全権公使と韓国外部大臣の交渉によって開市場や居住地を広げていく。 1883年1月 - 日朝修好条規に基づき仁川港開港、仁川日本人商業会議所設立 1883年3月 - 日朝間海底線敷設に関する条約を締結 1883年11月 - 第一国立銀行が仁川に出張所を開設、1888年には支店に。 1883年 - 第一国立銀行が釜山・元山・仁川で海関税収納事務の取扱を開始 1886年 - (イギリス領インド帝国で後期中等教育開始) 1887年2月 - 在留邦人によって京城に商業議会が設立され、1892年4月に京城日本人商業会議所へと改名 1888年 - 第一国立銀行が京城に出張所を開設 1890年9月12日 - 商業会議所条例が公布される (朝鮮内の商業会議所もこの条例に準じた定款で領事の許可を得て設立している) 1891年 - 帝国生命保険(現朝日生命保険)が釜山に代理店を設置 1894年 - 甲午農民戦争(東学党の乱)が発生、政府軍と褓負商の商兵が東学軍と戦う 1896年 - 第一国立銀行が第一銀行になる。 1899年6月 - 仁川米豆取引所設立 1900年 - 平壌日本人商話会設立するも1904年に解散、1907年に平壌日本人商業会議所設立するも1909年に解散、1911年に平壌実業協会設立 1901年 - (オランダ領東インドで倫理政策が始まる) 1902年 - 釜山に日本商品陳列所設立 1902年 - 在鮮日本人商業会議所を統合して、商業会議所朝鮮総合会設立 1902年 - 第一銀行が日本銀行券に交換可能な第一銀行券を発行開始 1904年 - 釜山に商品陳列館建設 1905年 - 第一銀行券が韓国政府公認となる 1905年 - 朝鮮人によって京城商業会議所設立 1905年5月28日 - 京釜鉄道開通式 1905年11月17日 - 第二次日韓協約(乙巳保護条約)締結 1906年 - 釜山で日韓博覧会開催 1906年2月1日 - 韓国統監府設置 1906年12月7日 - 大邱日本人商業会議所設立、1910年9月に大邱商業会議所へと改名 1907年6月25日 - ハーグ密使事件 1907年7月20日 - 高宗退位、純宗即位。翌年にかけて日本軍は反日義勇軍1万4千人との1,774回の戦闘を行った。 1907年8月1日 - 大韓帝国軍解散 1908年4月1日 - 韓国標準時制定 1908年10月 - 仁川に朝鮮人商業会議所が設立される 1908年9月 - 朝鮮皇室博物館(現韓国国立中央博物館)設立 1908年12月18日 - 東洋拓殖会社設立 1909年7月6日 - 日本、韓国併合方針を閣議決定 1909年10月 - 韓国銀行条例に基づき韓国銀行設立、第一銀行の中央銀行業務を引き継ぎ、金貨と日本銀行券に交換可能な韓国銀行券発行 1909年10月26日 - ハルビンで伊藤博文が暗殺される 1909年12月4日 - 韓国の一進会より「韓日合邦を要求する声明書」の上奏文が提出される 1910年3月14日 - 土地調査事業開始 1910年6月30日 - 憲兵警察制度発足
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