日本統治時代の再建
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/22 21:56 UTC 版)
日本統治時代、台湾総督府はブヌン族の制圧を目的として再建した。工事期間は1919年から1921年までかかった。植民地支配の拠点として沿線に駐在所を作りその数は56箇所にものぼる。 東西は大水窟を境界とし、西側は楠仔脚万(現在の南投県信義郷久美村)から大水窟までの約42km、東側は玉里から大水窟までの約82km、合計で145kmとなっている。日本人が築いた八通関越嶺道路は、清朝の八通関古道のルートと異なり、重複する部分もほとんど無い。 八通関越嶺道路の目的としては、東西を連絡する交通の確保のほか、原住民に対する統治と「教育」を強化することに着眼している。このため、併せて森林資源の開発も進め、沿線に警察の駐在所の関係施設を置いている。
※この「日本統治時代の再建」の解説は、「八通関古道」の解説の一部です。
「日本統治時代の再建」を含む「八通関古道」の記事については、「八通関古道」の概要を参照ください。
- 日本統治時代の再建のページへのリンク