日本統治時代の朝鮮での活動
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「金度演」の記事における「日本統治時代の朝鮮での活動」の解説
1927年に朝鮮半島に帰国。延世大学校教授として招聘を受けた。1930年代後半、独立運動団体「興業倶楽部」にて活動。1938年5月18日、ソウル西大門警察署は勾留中の尹致暎の供述に基づき、金度演が興業倶楽部の参加者であると報告を行った。 その後、朝鮮製絲会社に参加し、監査役として活動。資本金30万ウォンを投資して朝鮮興行株式会社を設立。1941年12月の太平洋戦争開戦後は反日活動への規制が強化され、朝鮮語学会を財政的に支援していた金度演は1942年12月に咸鏡南道洪原郡にて逮捕、鍾路警察署に勾留された。以後20ヶ月間、未決囚として咸興刑務所で過ごした。
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