満州事変以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 08:22 UTC 版)
標準軌改築工事と並行で進められた複線増設工事では上下線の輸送量の差が考慮され、64ポンド(32kg/m)レールの既設線(北行線)の東側に、単位重量が重い(耐荷力の大きい)80ポンド(40kg/m)レールを使用した新設線(南行線)を敷設した。撫順線(撫順炭鉱方面)への分岐駅である蘇家屯駅から内地への積出港である大連駅までの複線化工事は標準軌化直後の1908年10月27日に完成した。その先の蘇家屯駅 - 奉天駅間が複線化されたのは10年後の1918年11月30日であった。 第一次世界大戦の前後から貨物輸送量はさらに増加し、1919年から1926年にかけて蘇家屯駅 - 大連駅間の上り線(南行線)のレールをさらに重い100ポンド(50kg/m)レールへと改築した。改築後の同区間にはミカニ形蒸気機関車が投入されている。ミカニ形は撫順駅-大連駅間の石炭列車牽引のために製造された重量貨物対応の機関車で、運転整備重量は115.8tに達した。 複線区間の閉塞方式には双信閉塞器が使用されていた(1909年5月採用)。1924年2月12日には満鉄初の色灯式自動閉塞機が大連駅 - 金州駅間と奉天駅 - 蘇家屯駅間に設置されている。内地と比べてもごく早い時期の導入ではあったが、他の区間では双信閉塞式のまま信号所を大幅に増設することで対応した。大連駅 - 奉天駅間の複線区間が全て自動閉塞化されたのは初導入から約10年後の1933年11月5日であった。 なお、1927年7月15日付で路線名が本線から連長線に改められている。
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