双信閉塞式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 14:02 UTC 版)
双信閉塞式は複線運転の初期に英国から導入されたサイクス式閉塞器を元にして明治31年に小出篤次郎、太田信一郎、千手常次郎等によって考案され、翌年、坪井孚が改良した複線用の閉塞システムである。両端の停車場で対となる双信閉塞器を設け、両停車場の運転取扱者が電鈴合図や電話連絡をとり、共同作業で閉塞を行った。双信という名の通り、閉塞器中央には左右に腕を持った腕木式信号機状の表示器があり、その腕の角度で出発・到着停車場を現示させていた。双信閉塞式はまず新橋駅 - 品川駅間で試用された後、全国に普及していき、植民地時代の朝鮮の鉄道でも使用された。しかし、タブレットのような物証も連査閉塞式のような信号機との連動もなく、運転取扱者による閉塞器の表示確認のみで列車の運行を行うため保安度が低かった。また複線区間は列車の運行頻度が高いので、原理上、停車場間で1列車のみが運行できる双信閉塞式では運行回数の増加に対応できず、早くから自動閉塞式への変更が進められた。その結果1965年に最後まで残っていた伊田線の自動閉塞化によって消滅した。
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