万博終了後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/05 04:25 UTC 版)
万博終了後、万博の跡地はジャクソン公園 (en) となり、鳳凰殿はシカゴ市に寄贈された。 山田久美子の論文「シカゴ万博と鳳凰殿」によると、その後の経緯は以下の通り。シカゴ市に寄贈されたあと鳳凰殿は荒れるに任されていたが、1935年に市の土木課によって22000ドルかけて修復された。真珠湾攻撃まで、日本人業者によって茶店が営業されており、戦争中は公園事務局によって倉庫として使用されていた。1946年6月、火災により一棟が焼失。1946年10月13日、現地の少年2名による放火で残りの二棟も炎上。一棟が消失し、もう一棟も屋根が焼けた。山田は個人的見解として、「美術や建築の専門家が管理しているわけではない公園内に立てられた木造建築を管理するのは難しく、いたずらによる放火のために焼失であり、戦争による反日感情のための焼き討ちではない」としているが真相は不明である。 1992年、シカゴ市の姉妹都市である大阪市により、ジャクソン公園内に日本庭園が再整備され、シカゴ市により「大阪ガーデン」 Osaka Garden と命名された。 2013年、万博終了から120年を経過した節目にあたり鳳凰殿の跡地で日米の交流促進の目的で120本の桜の植樹が始まった。この計画は現在生えている木のほとんどを伐採し、代わりに桜を植えていくものなので、渡り鳥の生息環境を壊してしまうのではないかと懸念されている。2014年に大阪ガーデンから「The Garden of the Phoenix(鳳凰庭園)」に改名された
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