万博中央駅
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「つくば科学万博の交通」の記事における「万博中央駅」の解説
.mw-parser-output .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 万博中央駅 万博開催を機に白色青帯へ塗装変更した415系電車 国鉄常磐線牛久駅 - 荒川沖駅間(牛久駅から4.0キロ、荒川沖駅から2.6キロ地点、現:ひたち野うしく駅)に開催直前の3月14日から閉幕日の9月16日まで臨時駅として万博中央駅(ばんぱくちゅうおうえき、英: BAMPAKU-CHŪŌ STATION)を設置した。万博客を迎える鉄道の表玄関となるため、1日最大20万人の乗降者に対応できるよう設計され、この当時の名古屋駅、京都駅にも匹敵する規模があった。西口は、シャトルバスが発着する6本のバースと白や黄色の巨大テントが張られた待合広場があり、東口は、連接バス「スーパーシャトル」100台の待機場が併設された。営業する国鉄は、マスコットマークや天井パネル、BGMでパビリオンさながらのムード作りをしたり、記念乗車券の発売を行った。 ホームは長さ310 mの相対式2面。 跨線橋2基、出改札口を設置。 構内には旅行センター国鉄直営売店を設置。 停車は7時30分 - 22時40分頃に発着する普通列車と後述の臨時快速列車「エキスポライナー」に限られ、特急列車はすべて通過。 万博閉幕後に取り壊される前提で建設され、1982年(昭和57年)7月から約2年8か月をかけて完成し、1985年(昭和60年)3月8日に関係者を集めた完成記念式典が行われた。地元民は閉幕後も「万博中央駅」の恒久的存続を請願したものの、国鉄は設備が仮のものであるといった理由などで拒否したため、この地に同駅が存在した証として牛久方の上下線間連絡用跨線橋を残すことを承諾させ、さらに「飛翔」と題された記念碑を設置した。 臨時駅開設13年後の1998年(平成10年)3月14日に同駅設置場所を新たにひたち野うしく駅として開設。これに伴い跨線橋は撤去され、碑は牛久市役所にて保管後、ひたち野西公園(現:ひたち野みずべ公園)へ移設されたが、2009年(平成21年)にひたち野うしく駅西口に再移設された。駅舎正面にあった駅名看板は、非公開ではあるが現在も牛久市役所の倉庫に保管されている。
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