万博後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 01:26 UTC 版)
「テネシー州制100周年記念万国博覧会」の記事における「万博後」の解説
パルテノン神殿のレプリカはこの万博から唯一残され、現在も観光地として親しまれている。万博の監督であったユージン・キャスナー・ルイス少佐はテネシー州制100周年を記念してナッシュビルにパルテノン神殿を恒久的に残すことを提案した。ルイスはナッシュビル・チャタヌーガ・セントルイス鉄道の土木主任技師でもあった。1920年から1931年、ナッシュビルのパルテノン神殿は臨時の建物から同じ場所に恒久的な建物に建て替えられ、万博の土地はセンテニアル・パークとなり、パルテノン神殿は中に美術館を備え現存している。1990年代、メンフィスはミシシッピ川沿岸に巨大なピラミッド型のピラミッド・アリーナを設立した。
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