1990年代後半〜現在
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「エロス・ラマゾッティ」の記事における「1990年代後半〜現在」の解説
1997年、数々のヒット曲の再アレンジと、アンドレア・ボチェッリ、ティナ・ターナーとのデュエット2曲が収録された企画アルバム『Eros』を発表。続いて翌1998年にはキャリア2枚目のライブ盤である『Eros Live』をリリースしている。同年には長年の恋人だったフンツィカーと結婚を果たした(のち2002年に離婚)。 2001年、前年のアルバム『Stilelibero』のツアーでは東欧・ロシアにも進出。2003年、2005年にそれぞれアルバム『9』・『Calma apparente』を発表。2006年、それまでの功績が認められイタリア共和国功労勲章(コメンダトーレ)を受章した。 2007年に新曲・リミックス曲を含む2枚組ベストアルバム『e2』をリリース。
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1990年代後半〜現在
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「ヤノベケンジ」の記事における「1990年代後半〜現在」の解説
阪神・淡路大震災とオウム事件は、妄想であったものが現実となったことでヤノベに転機を与えた。1990年代後半からは史上最後の遊園地計画、「ルナ・プロジェクト」を構想、その一環として「アトムスーツプロジェクト」を開始した。鉄腕アトムにどことなく似た形のガイガーカウンター付き放射能感知服を着用し、チェルノブイリ原発や周辺の放棄された都市の廃墟、大阪万博跡の万博記念公園、砂漠や海岸などを歩き、子供のころに感じた「未来の廃墟」へもう一度戻るための「時間旅行」を試みた。 開催後三十年を経て朽ちてゆく途中の大阪万博の残存物との出会い、チェルノブイリの激しい放射線量、遊園地・保育園・軍用車などの残骸の「現実の廃墟」のすさまじさ、そこでも生きている人々たちとの遭遇などの体験から帰って、以後テーマを「廃墟からの再生(リバイバル)」に転換してゆく。 チェルノブイリの保育園で見た人形と万博後の廃墟で見たロボットをモチーフにした大型ロボット、子供の命令だけで歌い踊り火を吐く巨大な腹話術人形型ロボットなどが制作されている。2003年、大阪万博の美術館だった国立国際美術館で、集大成的展覧会「メガロマニア」を開催。解体されたエキスポタワーから下ろされた朽ちた展望台の一部を使用し、展望台内で生えていた苔を育てるなどの作品を制作した。 2005年、豊田市美術館で個展「KINDERGARTEN」を開催。ヤノベの5歳の息子の声が登録され子供の命令しか聞かないという、高さ約7.2mのロボット人形「ジャイアント・トらやん」や、ヤノベ自身が乗っていた車と産業廃棄物で作った約3.7mのマンモスロボット、映画を見たりお菓子を食べたりして生き延びる子供用核シェルターという設定の作品「森の映画館」等を公開した。「この展覧会が、子供たちにとって何かのきっかけ作りになればうれしい」と、中日新聞の取材で訪れた子供記者達に語った。 2016年、第29回京都美術文化賞を受賞。
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