幕府学生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 23:41 UTC 版)
「イギリスの日本人学生」の記事における「幕府学生」の解説
幕臣の子弟より留学希望者を募り、開成所で行った試験の結果12名が合格し、加えて川路太郎と中村正直の2名が取締に任ぜられ計14名が派遣された。1866年(慶応2年)10月に横浜港を出発し、12月にロンドンに到着した。留学生の引率・監督・世話役を担ったイギリス海軍付の牧師兼海軍教師W・V・ロイドの意向と学生らの希望する学習体制が一致せずしばしば対立した。雇い入れた教師にも恵まれず、ようやく1867年(慶応3年)の末に学生12名はユニヴァーシティ・カレッジに入学するも、幕府の瓦解により短期間で帰国(1868年(明治元年)8月)を余儀なくされた。また川路らは、1867年のパリ万国博覧会に将軍慶喜の名代として派遣された徳川昭武らの対応にあたったほか、万博後の一行の訪英の対応にもあたった。 取締(2名) 川路太郎 中村正直 学生(12名) 市川森三郎 伊東昌之助 岩佐源二 杉徳次郎 外山正一 成瀬錠五郎 林董三郎(董) 箕作奎吾 箕作大六(菊地大麓) 安井真八郎 など。
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