幕府出仕から戊辰戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 09:47 UTC 版)
航海術・測量術および数学にも通じ、1857年から幕府軍艦操練所で軍艦操練、測量、洋算を学び始め、1860年から甲賀源吾と共に高等代数、高等幾何、微分積分学の研究を始める。文久2年(1862年)9月には軍艦操練所頭取に就任、松平春嶽や徳川慶喜ら要人を船で大坂まで送るなど重役を果たしていたが、元治元年(1864年)4月に講武所頭取を命じられたため海軍職を一時離れ、慶応元年(1865年)には歩兵差図役頭取となり、横浜で大鳥圭介と共にフランス式軍事伝習を受け、慶応3年(1867年)5月には歩兵頭並に進級した。 慶応4年(1868年)1月に軍艦頭を命じられて海軍職に復帰、海軍副総裁榎本武揚らと共に新政府軍支配下に置かれた江戸を脱出、箱館戦争に身を投じることとなる。 箱館政権(俗に蝦夷共和国)下では海軍奉行となり、宮古湾海戦および箱館湾海戦に奮闘する。
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