幕府仕官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 16:14 UTC 版)
正路が、いつ元服し、婚姻したかについて具体的な年月日は不明だが、江戸に戻る前後に元服し、仕官する前に妻を迎えている。文政6年(1823年)10月、23歳の時に正路は幕府に仕官しているが、この3ヶ月前に若くして正路は妻を亡くしている。正路は、10月に仕官し、翌月の11月7日小姓組岡部左京組の配下に属し、両番(小姓組と書院番)入りしている。この岡部左京は、正路の祖先である塩谷氏がかつて支配した下野国塩谷郡の後岡村、安沢村、中村を知行地とする旗本であった。その2年後の文政8年(1825年)12月7日には、その才覚が認められ小納戸役に任命され、まだ生まれて1年(2歳)ほどしか経っていない第12代将軍徳川家慶の四男政之助(のちの第13代徳川家定)附として布衣の着用を許され、禄高500石を受ける身となり出世した。
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