幕府への建議書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 14:28 UTC 版)
容保はまず、家老田中土佐、公用人らに先発させ、京の在任準備、情勢視察をさせた。国家混乱を治めるため目的は公武一和(天皇と幕府が協力し国内の混乱を平定、その上で対外政策を取る)となり、そのため容保は幕府へ建議書を提出する。その内容は低頭謙虚な挨拶から始まり、天下の体制、朝廷の幕府への不信、上は孝明天皇の叡慮である鎖国、下は人民たちの主張の攘夷、これらを尊重しつつ、諸外国の長所を取ること、巨艦大砲の軍備の備え、などに至っている。孝明天皇が幕府と力を合わせることを望んでいることから、この時点で容保の考えは朝廷と幕府が力を合わせ(公武合体)、叡慮(天皇の考え)や世論は鎖国攘夷であるがこれを徐々に少しづつ開国に向かわせることとなっている。その上で次の対策を挙げている。 夷人の無礼や驕慢に毅然とした態度をとり、江戸府内の居住を制限する。 すでに開港した三港(長崎・横浜・箱館)はそのままとし、その他の条約で定められた兵庫・新潟の開港と江戸・大坂の開市は延期するよう外国と交渉する。 朝廷より江戸へ下る勅使の待遇を改め、礼節をもって迎えること。 この容保の建白を幕府は採用し、開港を5年延期することに成功し、列国の公使館が品川の御殿山に新築され制限された。また、勅旨を携え江戸に到着した三条実美は好感をもって帰京し、孝明天皇はこの建議書の話を聞き「中正の卓見である」と嘉賞して喜んだ。
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