幕府の諸政策とは? わかりやすく解説

幕府の諸政策

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:45 UTC 版)

禁教令」の記事における「幕府の諸政策」の解説

宗門改」および「転びキリシタン」も参照 先述のように元和年間基点幕府キリスト教徒隠れキリシタン)の発見棄教強制改宗)を積極的に推進していくようになった。これは世界類を見ないほど徹底した禁教政策であった幕府かねてより治安維持のために用いられてきた五人組制度活用したり、寺請制度創設するなどして、社会制度からのキリスト教徒発見及び締め出し行った。また島原の乱の後には、元和4年1618年)に長崎始まった訴人報償制全国広げ密告奨励した密告報償金は、人物によって決まり宣教師場合には銀30与えられた。報奨金時代によって推移したが、基本的に上昇しており、最後宣教師1人付き500支払われた。棄教選択した場合には誓詞南蛮誓詞)に血判させ、類族改帳によって本人元より、その親族子孫まで監視したまた、隠れキリシタン発見方法としては有名な物に踏み絵がある。そのごく初期には効果があったが、偽装棄教が広まるにつれ発見率は下がっていった。最後正月年中行事として形骸化し本来の意味失ってしまったが開国まで続けられた。 一方で苛烈拷問行われていた。 有名な物には、棄教のために京都所司代板倉氏考案したとされる俵責め」がある。身体を俵に押し込めて首だけ出させ、山積みにして鞭を打つという拷問である。俵責めに耐えられず棄教した信徒多く俗に棄教した信徒を「転びキリシタン」(あるいは棄教した宣教師を「転びバテレン」)と呼ぶのは、この俵責めからきているといわれるキリシタン弾圧有名な長崎奉行竹中重義考案したとされる「穴吊るし」も有名である。穴吊るしは、深さ2メートル程の穴に逆さ吊りにされる拷問である。公開されても穴から出た足し見えず、耳やこめかみ血抜き用の穴が開けられることで簡単に死ぬことはできず、それでいて棄教意思表示容易にできるという非常にきつい拷問であった寛永10年9月17日1633年10月18日)、この拷問によって管区長代理であったクリストヴァン・フェレイラ棄教し、カトリック教会大きな衝撃与えた同じく拷問受けた中浦ジュリアン殉教している。 元和年間こそ大量処刑という手を打ったが、基本的に幕府政策棄教させることにあり、捕らえて処刑ということは少なかったばかりか1708年密入国してきたシドッチに対して新井白石取り成しもあって軟禁留めている(晩年地下牢への拘禁)。 こういった幕府対策により、死刑にされる者より、拷問死亡したり、棄教したりする者の方が圧倒的に多かった江戸時代通してキリスト教徒発見強制改宗続けられたが、一方で隠れキリシタンもまた信仰隠し通したり、偽装棄教によって、幕末に至るまで独自の信仰貫いた

※この「幕府の諸政策」の解説は、「禁教令」の解説の一部です。
「幕府の諸政策」を含む「禁教令」の記事については、「禁教令」の概要を参照ください。

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