幕府の神祇制度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 04:39 UTC 版)
鎌倉幕府が開かれると、幕政の下神社制度も再編された。幕府を開いた源頼朝は神道の崇敬が厚く、伊勢神宮の神領を安堵した他、伊豆山神社、箱根神社、三島神社の崇敬も厚く、特に伊豆箱根二所権現には歴代将軍が毎年1月に参詣するのが恒例となり、現在の初詣に繋がったとする指摘もある。また、1194年(建久5年)には寺社奉行を設置した。源頼朝の崇敬心を引き継いだ鎌倉幕府は、1232年(貞永元年)制定の「御成敗式目」において第1条に「神社を修理し、祭祀を専らにすべき事」「神は人の敬いによって威を増し、人は神の徳によって運を添う」と神道についての定めを規定した。また、幕府が出した「関東新制」には神社の神事興行、神人乱行の停止など各種の規制が見える。社務ではなく行事をはからう官職として祈祷奉行や神事奉行も設置され、室町時代には千秋氏が祈祷奉行を世襲した。 朝廷においては、神社の訴訟などを天皇に奏する寺社伝奏が置かれて問題の処理を担当したが、幕府勢力の台頭後は幕府と連絡を取り合い裁可を仰ぐことがその務めとなった。また、上皇による熊野大社への行幸も院政期に盛んに行われるようになった。幕府成立による朝廷の権威の衰微に伴い、かえって朝廷では神祇祭祀が強く意識されるようになり、順徳院は『禁秘抄』で「神事を先にし他事を後にす」と述べている。
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