江戸幕府の神祇制度と朝儀の復興とは? わかりやすく解説

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江戸幕府の神祇制度と朝儀の復興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 04:39 UTC 版)

神道の歴史」の記事における「江戸幕府の神祇制度と朝儀の復興」の解説

戦乱時代終わり江戸時代が始まると、神社行政再編された。幕府はまず、各神社その時点での社領安堵して守護使不入」の特権与えていったが、このうち将軍朱印状得たものは朱印地呼ばれ領主黒印状得たものは黒印地呼ばれた。ただし、これにより認められたのは神社収益であり、土地所有権幕府のものとされた。また、幕府将軍直属役職として寺社奉行設置し老中所管町奉行勘定奉行上回る三奉行筆頭位置させた。また、神祇故実祭儀典礼研究して寺社奉行諮問答え役職として寺社奉行所管神道方設置されて、吉川惟足以降吉川家世襲した。他方伊勢神宮担当した山田奉行や、日光東照宮担当した日光奉行など、特定神社には個別奉行当てられた。 1665年寛文5年)には幕府諸社禰宜神主法度発布し位階有しない一般神職狩衣衣冠などを着装する際には、吉田家発布する神道裁許状取得しなければならないとし、吉田家にほぼ全ての神職管理権与えることとなった。ただし、神宮賀茂神社春日大社宇佐八幡宮出雲大社伏見稲荷大社など、従前より伝奏通じて朝廷から位階授与されてきた社家は、今後吉田家によらず従来通り方法をとることが承認された。その他、この法度では神職職務怠慢への罰則社領売買禁止社殿修理義務などが記されている。 葬祭に関しては、幕府宗門人別改帳作成合わせて檀那寺で行うことを強制し人々仏式での葬儀義務付けられることになったが、吉田家や有力社の社家寺社奉行認め限り神式葬祭許可され江戸中期になると神職らの間で檀家制度から離れる離檀運動生じたことから政策緩和され神道裁許状受けたもので、檀那寺和解した者は神葬祭認められた。この場合、寺ではなく神社キリシタンでないことを証明したことから、「寺請ではなく神道請」と呼称された。 また、幕府戦乱により中絶していた朝儀一部再興財政的に支援していった。後土御門天皇以来222年間中断していた大嘗祭は、東山天皇の代に再興され桜町天皇以降恒常化した。新嘗祭も、大嘗祭復興翌年1688年元禄元年)に再興された。また、奉幣使一部再興され1744年延享元年)には上七社への奉幣及び宇佐八幡宮香椎宮への奉幣使再興された。神嘗祭に際して朝廷からの例幣使発遣は、1647年正保4年)に後光明天皇特旨により再興された。伊勢神宮式年遷宮中断していたが、これは慶光院清順周養尽力織豊政権期再興されている。また、戦乱により焼失した神祇官吉田神社斎場所にある八神殿をもってこれに代えられ神祇官そのもの再興されなかった。 また、修験道についても幕府規制設け1613年慶長18年)には「修験道法度」が発布され山伏当山派本山派に属さなければならないものとし、そうでない山伏活動禁じたこれを機に修験者たちは山岳定住する者と里修験として地域定住する者に二分化され後者庚申待などの民間信仰指導的役割果たした

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