江戸幕府宿老とは? わかりやすく解説

江戸幕府宿老

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 02:42 UTC 版)

井伊直孝」の記事における「江戸幕府宿老」の解説

寛永9年1632年)、秀忠臨終に際して直孝と松平忠明枕元呼び3代将軍徳川家光後見役任じた大政参与)。これが大老職のはじまりと言われるその後家光からも絶大な信頼得て徳川氏譜代大名中でも最高となる30万石領土与えられた。徳川家綱元服では加冠務め宮参りからの帰り井伊家屋敷お迎えした。これらと家康遠忌法会将軍名代として日光東照宮名代として参詣する御用は、直孝が務めて以降先例として彦根藩井伊家固有の御用となった朝鮮通信使応接においても幕閣筆頭としての役割を担うなど、70歳逝去するまで譜代大名重鎮として幕政主導した清に滅ぼされ南明政権鄭芝龍救援出兵要請を受けるかどうか幕府内で話し合った際は、その頃大量に発生していた浪人送り込んで出兵すべきと主張した家光徳川頼宣対し豊臣秀吉朝鮮出兵引き合い出して強く反対し、出兵しないことに決まったその後鄭芝龍息子鄭成功からも出兵要請幕府にあったが、棚上げにされた。 長男・直滋は江戸で幼少の頃から秀忠家光寵愛され、何不自由な育ったためか我が強い性格で、直孝とたびたび対立し言い争うことが多かった。直孝死去前年万治元年1658年)、直滋は突然出奔し百済寺遁世した。翌万治2年1659年4月末子・直澄が世子となり、直孝によりその次の当主は直縄の嫡男・直興と定められた。同年6月に直孝が没する同時に直澄が家督継いだ

※この「江戸幕府宿老」の解説は、「井伊直孝」の解説の一部です。
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